小川郷太郎の「日本と世界」

山下泰裕氏、最近の柔道について大いに語る

世界柔道界で長期間にわたり不敗の王者の地位を維持した山下泰裕氏は、2007年に国際柔道連盟(IJF)理事を退任した後は、国際柔道の表舞台に立つことは少なくなった。6月27日、当ホームページ主幹の小川郷太郎が、最近の山下氏の活動ぶりや今日の国際柔道に対する考えについて聞いた。氏の柔道に対する情熱は燃え続けており、自ら嘉納治五郎師範の教えの原点に立つ「柔道ルネッサンス運動」を主導するとともに、今日の国際柔道のあり方のある側面については警鐘も鳴らしている。同氏の主導する「柔道ルネッサンス運動」の背景には日本柔道の現状についての問題点も垣間見えるようだ。

(山下泰裕氏略歴) 1957年生まれ。1977年に史上最年少の19歳11カ月で全日本選手権優勝。以後全日本選手権9連覇。世界柔道選手権無差別級3連覇(1979、81、83年)。ロサンゼルス・オリンピック(1984年)無差別級優勝。1985年4月の全日本選手権優勝を最後に現役を引退するまで7つの引き分けをはさみ203連勝の記録を持つ。 国際柔道連盟(IJF)教育コーチング理事(2003年~2007年)等を歴任し、現在東海大学体育学部部長、認定NPO法人「柔道教育ソリダリティー」理事長、全日本柔道連盟理事など。

 

日本で「柔道ルネッサンス」を推進

(小川)山下さんの動向には世界の柔道愛好家が関心を持っていると思います。最近はどんなことをされていますか。
(山下):最近の仕事としては、2000年のシドニー・オリンピック後は10年近く柔道の創始者嘉納師範の理想の実現を目指す「柔道ルネッサンス」運動に力を入れてきた。
御承知の通り、嘉納師範は、人を捕らえたり倒したりする目的を持つ武術を統合して、修行を通じて体育、心身のバランス形成など人間教育の意義を実現しようとして柔道を創設された。しかるに最近の日本の柔道を見ると、試合に勝ちたい、勝つことだけを目標する、あるいは結果を重視する傾向が強まり、その結果、マナーやモラルが低下してきた。嘉納師範の教えた柔道では、相手は敵ではない。戦う相手を尊重することが求められるが、最近は柔道が単なる格闘技のようになったと思われることさえある。1990年代後半には、柔道大会の会場となった武道館などでも試合後はゴミなどが散らかって汚いことがあったし、試合をする者や観衆の人間的なマナーも悪くなった。
私は、柔道はこんなことでよいのかと大いに問題提起を行ったが、21世紀に入った2001年に講道館と全柔連が「柔道ルネッサンス運動」を立ち上げ、4つの委員会を作った。自分もそのうちのひとつの委員長になったが、その後4つの委員会は統合されて自分がこれを統括してきた。
私は、柔道の修行は人造り教育そのものであると考えている。柔道が「道」と呼ばれるのも修行を通じてその成果を日常の生活や人生に活かすことができるからだ。柔道では相手を思いやることが大事な教えであるが、柔道を学ぶことによって、電車の中で席を譲る、重いものを持っている人がいたら助ける、いじめをする者が周りにいたらやめさせる、などの動作が身に付くようにならなければいけないし、試合に負けたり、選ばれなかったりした人がいたら、そういう人にも思いやりを示すことができなければならない。他方で、自分が目的をもって行動する、強くなろうとしてそのために他人以上に工夫したり努力する、社会人としても他人と協力して良い方向にもっていくよう努力する、など自己研鑽努力を実践することが大事である。まさに「精力善用」「自他共栄」の教えである。
「ルネッサンス」の運動を続けてきて一定の成果はあった。例えば柔道の試合後の会場は清潔になった。しかし、まだ途半ばであり、これからも続けていきたい。

青少年教育、国際交流、大学の学部長などの仕事でも多忙

(山下)それ以外にもいろいろな仕事がある。柔道だけでなく、スポーツ全体の青少年育成にかかわっており、神奈川県体育協会の会長として、フェアープレーの精神を日常生活に生かすように努力している。オリンピックはスポーツの最高峰であるが、クーベルタン男爵の目指すものも健全な身体と精神の育成であり、嘉納師範の理想も同じである。クーベルタンと嘉納師範は親交もあったと聞く。
2003年から国際柔道連盟(IJF)の教育コーチング理事を務めた。2007年には、柔道の試合で外国人に一度も負けたことのなかった自分が理事再選の選挙では大敗した。多くの人が、山下は寂しい思いだろうとか、世界の舞台で活動しないことを心配してくれたが、自分自身はそんなことはない。IJF理事の経験を生かして現在NPO法人「柔道教育ソリダリティー」を立ち上げて柔道を通じた国際交流をしている。大きな組織ではないが、プーチン首相とも親密にしながらロシアとの柔道交流や中国との交流をし、また、外国の柔道を支援したりして、大いにやりがいを感じている。
もう一つの大事な仕事は、東海大学教授としての業務である。最近は、60名の教授陣、2000名の学生、15人の職員を擁する体育学部長に任命されて忙しい。これが現在の本業でもある。

国際柔道の商業主義化を懸念

(小川)グランドスラムの制度などが導入されてきたが、最近の国際柔道についてはどのように感じていますか。
(山下)IJFの理事を勤めていた2004年のパリ国際大会で3位に入賞したジュニアの選手が喜びのあまり裸になって柔道着を振り回したが、結局この選手は失格になってしまった。その後で召集したコーチ会議ではこのことについて様々な議論があった。
「選手には生活がかかっている場合もあり勝つことが重要で、サッカーで許されることがなぜ柔道では許されないのか」「人の目を引きつけたり注目されるような行為はマスコミも取り上げたりするので悪いことではない」などの議論があった一方、「スポーツには大勢の青少年が見に来ている。憧れのチャンピオンの行為には子供も真似をする」「マスコミや人の目は正しいことより派手な方に向く」「サッカーはサッカー、柔道は柔道」「柔道は教育である」等の反論があった。結論としては後者の方にまとまったが、自分としては良かったと思っている。
柔道は世界中で盛んではあるが、貧しい国や柔道を学ぶ環境が整っていない国も多くあるので、こうした国のことを考えなければならない。グランドスラム制度などでは賞金も出てプラス面はあるとしても、商業主義に陥りやすい。トップの人に注目が集まり、途上国に光が当てられなくなる。世界の柔道の発展のためにはトップも底辺も重要で、底辺にも思いを巡らす必要がある。
また、お金を得ることが目的化して、それが選手や周囲の人の姿勢を変えてしまう恐れもある。試合に出場する選手が自分の行動をコントロールせず意識的に自分をアピールする行為に走りがちにもなる。
試合の運営については選手のことをよく考えるべきだ。IOCのロゲ会長も「選手が重要」と言っている。私も選手をしたからわかるが、IJFは試合のあり方を決める場合に選手のおかれた現場のことを忘れてはならない。

試合ルールの変更は時間をかけて

(小川)試合のルールや審判の質についてはどう見ていますか。
(山下)試合のルールについては、私は最近までこれで良いのかとの思いが強かった。実際にも「ジャケットを着たレスリングのようだ」「姿勢が悪い」「柔道がつまらなくなった」との批判も強かった。しかし、北京オリンピック後少し改善もある。ズボンをとる行為は禁じられたし、頭を下げて組み合わない姿勢も是正されつつある。柔道はいかなる攻めにも対応できるよう自然体の姿勢が望ましい。足取りに走るような行為も好ましくない。
また、最近ルール改正で「場外」の判断が広くなったので、試合場の真ん中でやる試合が少なくなる傾向も見られる。
試合のルールが短期間に変わる場合には選手の対応は容易ではない。ルールが変更されてからそれが世界各地域の選手に浸透されるまでには時間がかかる。4年に一度ぐらいなら良いが、あまり頻繁に変えるのはいかがと思う。また、変えてからは実施までに半年間ぐらいかけて周知させることが重要である。
審判のレベルは、幾多の講習会も行われて向上してきた。最近の世界選手権やオリンピックの試合を見ても良くなっており、この傾向をさらに進めるべきだ。

日本の役割は「美しい柔道」を実践すること

(小川)今日の日本の柔道の課題は何ですか。
(山下)外国には、芸術的ともいえる日本の素晴らしい柔道の技に魅せられて柔道を始めた人も多い。ところが最近日本では人を感動させる技を持つ人が少なくなった。日本人が本来の美しい柔道を見せることが、日本の役割でもある。そのためには選手の育成が重要で、底辺を拡大して将来の人材を育てていくことが必要だ。
柔道は2人で組み合って戦うが、戦う相手を敬うことが重要な要素でもある。技だけでなく、柔道修行で培われた力や能力を人生に生かしていくこと、柔道を通じて戦ったり交流することによって世界の平和に貢献することも大切である。