小川郷太郎の「日本と世界」

フランス柔道誌 L’Eprit du Judo 「柔道の精神」
12・1月号 小川郷太郎便り(第5回 和訳)

2010年世界選手権東京大会を振り返る

東京での世界選手権の結果に日本人の大方は満足しているが、吉村和郎強化委員長は今回の好成績が偶然の要素によるものとして今後の見通しには慎重である。メダルの数や技術面の評価は別にして、私はここで柔道が本来あるべき姿の見地から感想を述べてみたい。 日本柔道の指導者である上村春樹氏は、大会の開会挨拶において今大会が「柔道の原点に戻り、礼節を守り、正しく組んで理に適った技で一本をとる柔道を実践する機会となること」を期待した。上村館長の意図がどの程度守られたかについては次の点から疑問も残る。 ①私の見るところ、態度や相手への敬意などを含む礼節は、何人かの審判が選手に礼節を促したにもかかわらず、あまり守られなかった。日本人を含め勝者が敗者の前で勝ち誇る動作をしていた。さらに悪いのは、勝者であれ敗者であれ、選手の中には試合終了後審判が立つように促しても暫くのあいだ畳の上に横になったまま動かない者がいた。これは見苦しい。IJFも各国の連盟もこの点で選手の指導を強化すべきである。 ②「正しく組む」ことについては、最近のルール改正で改善は見られたが、まだかなり長く組み手を争う場合がある。この点についても、指導者は両者が早く組み合うよう指導する責任がある。 ③一本で決まる勝負は多くなったものの、「一本」とされた技の判定には国際ルールの定義に合致しない極めて曖昧な技が多かった。いわば「一本」の安売りだ。多くの日本人はこのような判定を問題だと思っている。 この大会で最も目についたのは審判の問題だ。この大会だけの問題ではないが、常々審判による早過ぎる「待て」の宣言と頻繁すぎる「指導」が多いと感じている。タイミングの悪い「待て」は試合を中断させ、時として、技を掛けたり連続技を準備するために相手の柔道着をしっかり掴むことの妨げになっている。とくに寝技において問題で、一方の選手が相手の足から自分の足を抜こうとしているときに審判が「待て」を掛けた例がいくつもあった。寝技で一本をとることが、頻繁で早過ぎる「待て」によって妨げられた例がいくつもあった。寝技の優劣は接戦の時に大いにものをいうこともあり、寝技は試合でも練習でも現在より重視されるべきであると私は考える。 審判に関しては、優秀な人もいるがそうでない人も目に付く。とりわけ、寝技の動作中についての判断基準が人によってまちまちである。主審が副審や試合場の前のテーブルにいる者の指摘で自分の判定を簡単に変えることが多過ぎるのも問題だ。これでは審判の権威も信頼性も台無しだ。会場の隅で審判委員長のバルコス理事に出会ったので、これらの問題点についての私の意見を述べた。私の論点の多くを受け入れてくれたので、私はIJFが審判講習を徹底すべきである旨提案した。バルコス氏は予算問題に言及したが、審判の問題はそれより重要な事柄である。