小川郷太郎の「日本と世界」

復活への提言
日本柔道界は新たな国際戦略を


小川郷太郎 :外務省参与・全日本柔道連盟国際委員会特別委員  

「どこかおかしいですね」

華やかだったが中国をめぐる様々な問題が世界の耳目を集めた北京オリンピックの余韻も次第に静まりつつある。しかし、多くの競技の中でも柔道については、日本発祥であるだけに、北京後も男子のメダルの数の少なさが論議されたり、一〇〇キロ超級で金メダルを獲得した石井慧選手の総合格闘技界入りの可能性が取りざたされ、また国際柔道連盟(IJF)の規約改正の動きの中で、会長の権限を強化することに日本が反対をしないため発言権を失うおそれが指摘される(『日本経済新聞』十月三日付朝刊、『週刊東洋経済』十月十八日号)など、話題に事欠かない。  
柔道修行者の端くれを自認する私も熱心に北京オリンピックの柔道の試合をテレビで見た。ふだん柔道を見る機会のない人も、結局種目別では最大数のメダルを獲得した柔道の競技に強い感動を覚えたようだ。しかし興味深い現象は、柔道経験のない非常に多くの人が「いまの柔道、どこかおかしいですね」と言うことだ。その理由には、〝カマキリの喧嘩〟のような組み手争いが延々と続いたり、タックル技が横行したり、どちらが勝ったかわからないような試合に判定が下されることなどがあるようだ。
「柔道が面白くなくなった」と言う人もいる。柔道をしない人たちが柔道経験者と同じような感想を持つほど「どこかがおかしい」ものになっていることが、「国際化」された柔道に見られるのは明白である。  
もうひとつ、北京での柔道の試合を見て私ががっかりすると同時に少しばかりほっとしたのは、柔道の重要な要素である礼儀や相手への敬意という精神的側面が日本人選手にも失われてきている傾向が顕著である一方、辛うじて、特に日本人女子選手の何人かの振舞いの中にそうした精神が守られているのが見られたことである。  
試合に勝った者が終了の挨拶もしないまま畳の上を駆け回ってコーチに抱きついたり、勝ち誇ってガッツポーズや雄叫びを放つことや、敗者がうずくまったまま暫く動かないとかの光景が当たり前のようになっている中で、日本選手の中では、上野雅恵選手や中村美里選手などは勝っても負けても沈着冷静に、相手や周りの人に敬意を払った姿勢を維持して好感が持てた。数は少なくなってしまったが、こうした人こそ柔道の精神を身につけている人たちで、女性ながら威厳を備えた「サムライ」のような雰囲気を湛えている。  
勝利や敗北で感情を正直に表すのは人間的で微笑ましいのも事実だが、審判を待たせて自分の感情を爆発させるのは、周囲の人に対する礼儀や敬意に欠けるものだ。敗者の前で勝ち誇るのも謙虚さに欠ける。感情の爆発は試合を終えてしっかり礼をして畳を降りてからにすればよい。柔道には技量も精神性もともに必要なのだ。数ある種目の中でも、日本発祥の柔道でそういう礼節について日本が世界に範を示してもらいたいものだが、日本はいまやその精神性さえも失いかけている。  

世界のスポーツとなった柔道  

柔道はいまや世界で最も人気のあるスポーツのひとつである。IJFへの各国・地域からの加盟団体数は一九九を数え、オリンピックでも各国が鎬を 削ってメダルを狙う種目である。柔道が世界のスポーツとなったことについては、日本にとって良い面と悪い面がある。喜ぶべきは、柔道を通じて世界の人々が日本の良い側面を知るようになったことで、問題は、国際化によって柔道の本質が変化してきたことだ。  
誇るべきことは、日本発の柔道が世界の隅々まで実によく浸透していて、多くの場合、少年少女を含めて世界中の人々が柔道における礼儀や規律などを学んでそれを実践していることだ。筆者は大学で柔道を学び、外務省入省後、七ヵ国にわたった各任国で人々との柔道の稽古や交流を通じて、その浸透度の深さを目の当たりにしてきた。  
一九六九年から四年ほど滞在したフランスでは、当時からすでにどんな小さな町に行っても柔道場があったし、町道場には文字通り老若男女が来て柔道の稽古をしていた。研修先のボルドー大学では、アフリカの旧ダホメ(現在ベナン)出身の留学生が黒帯初段を締めて大学の柔道同好会を指導していたが、日本語で、「セイザ(正座)、センセイニレイ(先生に礼)!」などと号令をかけていた。ちなみにフランスでは草の根レベルまで柔道が楽しまれており、その柔道人口は五〇万人以上にのぼる柔道大国だ。  
二〇〇〇年から三年ほど住んだカンボジアは、三〇年近く続いた内戦とその後の混乱を経てようやく達成された平和の時代であったが、残忍なポルポト政権の大量虐殺で柔道人口も壊滅的に減っていたのを、日本から派遣された青年海外協力隊員の指導の下で若い人を中心に柔道の復活が図られていた。そこでは、幼い柔道練習生までが稽古のあと先生のところまで歩み寄って礼をして帰っていたことを印象深く思い出す。  
外交官として最後の在外勤務となったデンマークは人口わずか五四〇万人の小国であるが、全国どこに行っても日本武道の愛好者に出会った。柔道だけでなく、剣道、合気道、空手から居合や杖道などの愛好者までいる。地方の柔道倶楽部でも小学生を含め練習の始めと終わりにしっかり正座して礼をするなど、柔道の精神的な側面も熱心に学ぼうとしている姿勢に感銘を受けた。  
柔道が世界的な「スポーツ」になっても、海外では多くの道場に嘉納治五郎師範の額が掲げられ、「精力善用」「自他共栄」などの漢字の標語も見られる。柔道人口の多いフランスには、依然として柔道や武道の精神、「サムライ」の思想や言動に関心を持って学び、それを通じて日本を知ろうとする人も多い。世界には柔道の伝統的な精神面の鍛錬にも関心を持って励んでいる何百万の人々が存在することを日本の柔道界は忘れず、これを大事にすべきであろう。世界の草の根レベルに柔道の精神的側面も浸透しているのは日本にとっての貴重な資産である。日本が世界的視点で技量、精神面の双方で柔道を経営していくという姿勢が望まれるが、近年、指導者も選手も勝敗や競技的側面だけに気を取られ、精神的側面でも世界を支援し、指導していく姿勢に欠けているのは残念だ。  

変質をもたらしたルール変更  

柔道がこのようにその本質的な面も含めて、世界中に浸透していることは日本人として誇りに思うべき事象であるが、他方において、柔道が世界的に発展し国際大会が頻繁に行われるようになった過程で、試合のルールや経営が欧州諸国の主導で変化していった結果、我々日本人が大事にしている柔道の本質が次第に変質してきている事実がある。  
例えば、体重別の導入、「効果」や「有効」のような「技あり」にも至らない軽微なポイント制の採用、試合中に審判が「待て」を連発して「指導」を与えるルールなどである。こうしたルールが採用されてきた結果どういうことが起こっているかをいくつか例示してみよう。  
まず、ポイント制であるが、北京オリンピックで日本中の期待を背負って戦った谷亮子選手も準決勝の最終段階で「指導」を与えられ、その試合を失った。両者ほぼ互角の試合展開で谷選手だけに指導が与えられたのは不公平であるし、仮に谷選手に効果的な攻め技が欠けていたことを認めるとしても、試合全体を通してどちらが優勢だったかは客観的には判然としなかったことは日本人でなくても認めるであろう。武道である柔道は本来相手を倒すか自分がやられるかの真剣勝負でもあることから、どちらが勝ったかわからない勝負にわずかなポイントで勝者を決めるのは正道ではない。  
試合の途中で審判が「待て」と言って中断させ、受け身の姿勢を続けて技をかけない選手に「指導」を与えて、これが相手選手のポイントとしてカウントされる「反則」のルールがある。これは膠着状態で動きの少ない試合を活性化させ選手の積極的攻勢を誘導するうえで意味があるが、他方で弊害も生じている。現実には相当頻繁に「待て」をかける結果、「待て」をかけられてポイントを失うことを恐れる選手は、とにかく攻めようと焦って相手をしっかり掴まえようともせずタックルを仕掛けたり、中途半端な技をかける「偽装的攻撃」に行ったりするようになることだ。  
柔道は本来相手の襟や袖をしっかり握って技をかけるのが基本で、それがきれいな「一本」の投げ技に繋がるわけである。日本選手は相手をしっかり掴めば強いので、外国選手はこれを避けるためタックルを頻繁に使う。組まないで「朽木倒し」のような技に走る傾向も強い。現行のルールは相手をしっかり掴まえさせることを目指してはいるが、現実には効果を上げていない。
「待て」の頻発は寝技においても問題が生じている。最近はやや改善しているが、選手の一方が寝技に入るためにまだ攻勢を続けているのに審判があまりにも短時間で「待て」をかけて両選手を立たせてしまう例が非常に多い。寝技で抑え込むには相手の足や腕、肩、首などを順次制御していくプロセスが必要であるので、一般的に立ち技より時間を要するものだ。寝技が決まりそうもないときに立たせるのは良いが、早過ぎる「待て」の頻発は寝技に入るプロセスを断ち、寝技の発展や研究を妨げるものとなっている。このような見地から、「待て」をかけるタイミングについては審判員をしっかり指導することが重要である。  
柔道衣の規格も重要な問題だ。組めば強い日本選手に掴まれないために柔道衣の袖口を細くしたり、身体にぴったりした小さめの柔道衣を着てさらに襟を厚くしたりする外国選手も出ている。かつてカラー柔道衣が採用されようとした際、日本は反対した。筆者は柔道衣の色は本質的な問題ではないと考えるが、柔道衣の規格問題は柔道を変質させる可能性がある深刻な問題である。最近、柔道衣の規格についての問題意識が高まり、改善が図られてきているが、日本の主導性が必要だ。  
体重別制は大きな問題だが、いまや試合方法として国際的には堅固に定着してしまったためこれを修正することは容易ではない。しかし、体重別制採用によって「柔よく剛を制す」や「小よく大を制す」の柔道の面白みが減っていることは否定しようがない。相撲界には外国人力士が多数参入しているが試合のルールが変わらないので、依然として「小よく大を制す」の醍醐味を楽しむことができ、相撲を面白いものにさせている。  

メダル至上主義から、 柔道の国際的経営へ  

こうしてみると、柔道が世界に浸透した結果、喜ぶべき点もあるがいくつかの深刻な問題が生じていることがわかる。最大の問題は、ルールの変更による柔道の変質で、柔道が面白くなくなったことであろう。しかし、我が国では依然として、メダルの多寡を論じたり、柔道が国際化して「JUDO」となったことを嘆きつつもこれに従う傾向が強い。  
メディアも関心を持ち、例えば、八月三十日の「NHKスペシャル」では、北京オリンピックの一〇〇キロ超級で見事金メダルを獲得した石井慧選手に焦点を当てた番組を放映したが、横文字のJUDOを身につけようと努力して金メダルを獲った石井を「日本柔道を救った男」として賞賛するトーンである。また、リクルート社発行の情報誌『R25』(八月二十一日付 第二〇四号)も、「『一本』か『勝利』か。日本柔道の未来はどっちだ?」と題し、やはり石井慧選手の試合を中心に「一本で勝つ柔道を守ることも大切だ。だが勝てなければ〝机上の美〟になるだけ。まずは勝って示さなければ。そのためにも『JUDO』のさらなる研究が必要なのかもしれない」と論じている。  
いずれも現行のルールを所与のものとしてメダルを獲る見地からの議論であるように見えるが、筆者としては、日本としておかしいルールを変えようとする姿勢が見られないことが大きな問題だと考える。おかしなルールに従って勝ったからといって「日本柔道を救った」という発想が問題である。
「柔道では日本は勝たなければならない」という意識が強いのは、日本の「お家芸」の柔道でのメダル獲得にかける国民の期待に極めて大きなものがあるからであろう。メダルを獲得すること、すなわち勝つことは柔道の場合は特に重要であるし、そのために最大限の努力をなすべきは当然である。しかし、結果として負けた場合には極端に悲観主義に陥るべきではないと考える。  
柔道が日本発祥であるとしても世界に普及してからすでに久しい。筆者もフランスや旧ソ連などで柔道をしたが、平〓的な筋力はフランス人やロシア人のほうが日本人より勝っていることを感じる。良い指導者を得て同じくらいの年月の練習をすれば、日本人より強い外国人選手が出てもおかしくはない。他のスポーツの例でもわかるように、発祥国が常に強いわけではない。悲壮感漂うようなメダル至上主義からちょっと肩の力を抜くことも必要だ。  
メダルにこだわりすぎると、他の重要なことに注ぐ努力を減じる結果にもなる。メダル獲得と同等に、あるいはそれ以上に大事なのは、柔道の本質を取り戻すために柔道の国際的経営に積極的に関与することである。なんとか「メダル至上主義」を超克し、これを止揚する方策を考えるべきであろう。すなわち、日本は自国発祥の柔道について欧米主導で決められたルールを受け入れてこれに従うのではなく、日本が主導的にルール改正の努力をすることが肝要である。現在のルールを日本が考える正しい方向に改正できれば、日本の選手が勝つ確率を高め、メダル獲得にも良い影響を与えることもできるのだ。  
しかし、この点でも日本の置かれた現状には極めて厳しいものがある。日本が国際的な柔道の経営において影響力を発揮するには、IJFなどでしっかりした発言権の基盤を有することが重要であるが、昨年のIJFの理事選挙で、あの「世界の山下」といわれた山下泰裕氏が大差で敗れ、それに先立つアジア柔道連盟(AJF)会長選挙でも人格・識見ともに優れた佐藤宣践氏がクウェートの候補に大敗を喫するというショッキングな出来事があり、国際的な柔道の経営においては日本が主導的役割を果たしにくくなっている状況にある。  
IJF選挙の直後、会長のビゼール氏は日本の上村春樹全日本柔道連盟(全柔連)専務理事をスポーツ&マーケティング理事に指名した。上村氏はビゼール会長と良い関係にあるそうで、会長にもいろいろ物申しているらしい。当面日本は何とか上村理事を中心にして国際柔道の経営にしっかりと関わっていく必要がある。  

戦略目標の達成のために  

先に述べた国際化された柔道の功罪や日本が置かれた現状を考えるとき、オリンピックが終わった現在こそ、新しい視点を持って、また長期的視野に立って、今後の戦略を考える必要があるが、筆者はその戦略目標を、「柔道の本質を取り戻すために日本が主導的役割を果たす」ことに置くべきではないかと思うものである。  
この戦略目標を達成するためには、二つの方向での努力が必要であるように思う。ひとつは、強い選手を育てて正しい柔道で勝つことである。もうひとつは、世界における柔道の経営に積極的に参画することである。これまで日本の柔道界は前者の方向に最大の努力を傾注してきたように見えるが、今後は後者の方向での努力を抜本的に強化し、軸足を両方に置いて上述の戦略目標を追求することが肝要である。  
日本らしい「一本」で決めることを狙う正しい柔道で勝つことにより、日本の考える方向に外国を引っ張りやすくなるし、他方において日本が柔道の国際的経営にいままで以上に積極的に参加し、発言力を高めることができれば、国際審判規定や運営を本来の正しい柔道の方向に戻すことに寄与し、もって日本選手が勝つ確率を高めることができるので、双方は互いに良い影響を及ぼし合うということができる。  
もちろんこれらは生やさしいことではない。世界の並いる強豪に「一本」で勝つことは至難であるし、世界柔道の経営に影響力を行使するのはIJFで議決権を持つ理事の地位を失った状況では容易ならざるものがある。しかし、いかに困難でも長期的な目標として、いまから努力を始めなければならないと思う。そのためには、少し発想を変えてみることも役に立つ。すなわち、日本柔道界はこれまでは「勝つ」ことに重点を置いて努力してきたが、これからは選手強化の努力を継続する一方、当面は国際柔道経営への積極的参画に重点を置き、そのための体制強化に力を入れるべきであろう。それは、柔道発祥の地である日本が主導的に関わってできるだけ早期に柔道の本質を失わせるような現行のルールや試合運営を修正せしめることが不可欠であるからである。  
日本柔道界の首脳陣や指導者層もその是正に努力をしてきており、他方でIJF自身も現行のルールの問題点を認識しその是正の努力をしつつあるが、柔道がオリンピックや世界選手権の重要種目となっている中でビゼール会長主導のIJFは、柔道の一層の「競技化」へ向かいつつあるようで、最近バンコクで開かれた臨時総会で「世界ランキング制」導入が決められた。
「正しい柔道の復活」を目指して国際的経営への関与を強化するための具体的な目標として、まずIJFやAJF等における「議席(理事や会長等の役員ポスト)」確保と国際審判規定の改正が挙げられる。  

外交と国際スポーツは選挙が重要  

近年、日本のスポーツ界は多くの種目で世界的選手を輩出するようになっているが、大概どのスポーツでも国際的経営においての日本の発言権は非常に弱いことが指摘されている。総じて、国際ルールの作成に日本が積極的に関与できず、ルール変更などに選手たちが受動的に対応することを余儀なくされる場合が多いようだ。ルール作りにおける発言権強化は、我が国の国際スポーツマネージメントにおける共通の課題であり、日本全体としてより包括的に考えるべきと思われる。  
言うまでもなく、発言権を確保するためには国際組織の選挙で当選することが極めて重要である。日本国内の議員選挙でも当選を目指して何年も前から準備をする。国際的選挙は世界を舞台にするという点で、それ以上に困難で大規模な準備が必要だ。日本柔道界も選挙を抜本的に重要視して最大限の人員や予算を投入すべきである。筆者の経験では、外交と国際スポーツには類似点が多いので、外交の舞台での選挙について紹介してみよう。  
外交の場では、国連やその他の機関で選挙は極めて頻繁に行われている。安保理の非常任理事国の選挙などでは各国が総力を挙げて激しい選挙運動を展開する。日本もかつて小さな国に負けたこともあって、選挙に当選するためには身を削るような選挙運動を世界中に展開する。外務本省から世界中に訓令が発せられ、当選を目指して何ヵ月あるいは一、二年にもわたって活動を展開するのが常である。  
私が外国勤務をしたときも外務本省からの訓令で動いた。大使としても頻繁に相手国の大臣や次官・局長などの関係者に何度となく足を運び懇請を繰り返す。選挙の投票までの期間が長く、他の国も懸命に運動しているので、同じ人に何度も会って他国の候補に投票しないで日本に投票するよう最後まで説得し、念を押しに行く。単に日本への投票を要請するだけでなく、相手国がどのような考えを持っているか、他の国がどういう投票態度をとるのかなどについても、あの手この手で探り、情報を集める。渋る相手から支持をもぎ取るためには、説得を繰り返し相手に対する何らかの利益になることを日本としても約束しなければならないこともある。選挙運動のために候補者本人や責任者が世界を回り、相手国を説得することもある。様々な外交の機会に総理や外務大臣からも各国首脳に働きかけもする。まさに、世界を舞台にして「どぶ板」を踏まなければならないのだ。  
約二〇〇ヵ国の連盟が加盟しているIJFなどでも権謀術数が渦巻いており、こと選挙になると一層その激しさが増す。選挙は昨年終わったばかりだが次回を目指して、日本も出遅れずすぐにも行動することが重要である。  
もちろん、いまからあからさまに選挙を名目に運動するというのではなく、試合の運営やルールについて日本の主張を明確にし、志を同じくする他国の代表との協議・連携を強める、あるいは開発途上国の柔道連盟に対し様々な支援や協力を増強するなどの「日常的」活動を通じて、我が国の存在感を高めることを目指す必要がある。  
より選挙が近づいたら、特定の候補者を内定して、その人の活動を目立つものにしていくと同時に、多くの国への非公式の根回しを開始する必要がある。選挙には各国が総力を挙げてあの手この手を繰り出す。日本も選挙を大いに重視すべきで、いまから全柔連が一丸となって計画を立てて準備し、遠慮することなく世界的規模で激しく攻撃的に行動する必要がある。  

国際審判規定を改正せよ  

国際審判規定の改正も「正しい柔道の復活」に不可欠である。現在の審判規定については、国際柔道界の指導者の中にも「本来の柔道」を回復すべきとの問題意識があることはすでに触れた。北京オリンピック以後はわずかなポイントである「効果」の制度は廃止されることになったのは、ひとつの進展として歓迎したい。しかし、まだ依然として柔道の本質を変えるようなルールもあり、我が国としては「家元」として、現存するルール上の問題点などを繰り返し公の場で明確に指摘するべきである。  
国際ルールについては、すでにいくつかの問題を例示した。付言すれば、全日本柔道選手権は国際試合とは若干異なるルールのもとで行われる。大きな違いは体重別制をとらない「無差別制」であるが、ルールの適用面でも審判員が国際試合ほど頻繁に「待て」を連発しないことから、より継続的に試合が進められ、寝技による勝負も多い。僅差のポイントで優勢勝ちを決めることも少ないので、「一本勝ち」の試合も比較的多いし、優勢勝ちの勝負でも優劣の差は明確である。今年の全日本選手権を観戦したフランスのある柔道家は、「やはり日本のやり方のほうが本来の柔道らしくて良いですね」との感想を私に漏らしたが、海外にも本来の柔道を希求する人たちがいる。  
日本一国だけで行動しても効果は限られるので他国との連携が絶対必要だ。柔道に関しては日本こそ権威をもって正論を展開することができる。全柔連として、重要な問題点について常に見解を明らかにし、正論を国際的な会議で繰り返し主張したり、スポーツ誌などにも発表することも効果があろう。そうすれば、国際柔道界は必ずや耳を貸す。  
また、同じ考えに立つ国や人々と連携を強める働きかけが不可欠である。国際試合の都度、参加国の指導者たちと協議・懇談し、正しい柔道の復活に向けて審判規定の改正にコンセンサスを形成するためのロビーイングが重要である。柔道の層が厚いフランスや正統な柔道を目指す人の多い韓国やロシアなどとも連携する可能性はあろう。すでにIJFにも正しい柔道に向けた動きがある。そこで日本こそが「本家」としての権威をもってリーダーシップを発揮すべきである。  

「沈黙は損」   オールジャパンで体制強化を  

国際的集まりの中で日本人はおとなしくしていることが多い。「謙譲の美徳」は日本社会では誉められるべき資質ではあるが、アジアでも中国人や韓国人ははっきり自己主張する。日本人のおとなしさは世界の中では例外的だ。黙っているので他の国が自己主張して物事が日本の意に反して決められていく場合が少なくない。「沈黙は金」ではなくて「沈黙は損」なのだ。通訳をつけてでもよい。柔道の分野でこそ日本が自信を持って発言すれば必ず聞いてもらえる。現在、IJFの会長権限を強化する規約改正が拙速に進められつつあるが、これについても日本は黙っているべきではない。  
世界を相手に正しい柔道の復活を目指す活動をするためには、多くの人材の糾合と予算の確保が不可欠である。オリンピックが終わったいまからその努力に着手し、ある程度の時間をかけて実現を目指すことが必要になる。とりわけ以下の諸点が中期的な新たな国際戦略の柱となるべきであろう。  
第一の目標は人材の確保、特に全柔連国際担当部門の陣容の抜本的強化であろう。国際的活動には外国語能力や柔道に関する経験や知識とともに国際経験に基づく交渉能力も必要だ。三拍子そろった人材発掘は難しいかもしれないが、努力が肝要で、例えば、我が国の国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員やシニアボランティアで海外の途上国で柔道を指導した経験のある人は少なくない。民間企業で海外駐在を経験した柔道経験者もいる。柔道の経験に乏しくても語学力に優れ外国経験があり、柔道について関心があれば、学習することによって柔道の国際的マネージメントに参画することは可能であろう。広く人材を柔道界内外から集め、組織的な活動を展開することが望まれる。  
国際的活動を活発に展開するには当然予算が必要になる。予算がないから活動できないのではなく、国際的活動強化は不可欠であるとの前提に立って、活動するための予算をどう確保するかの発想で臨む必要がある。柔道の国際試合では日本企業がスポンサーに名を連ねる場合が多いが、正しい柔道を復活させ、日本の柔道の力や指導力を高めるために、企業の力も借りることが望ましい。柔道に関する国際的活動を強化するための財政基盤をどう作っていくかについても、やはり柔道界内外の知見や人材を集めることが有益である。  
正しい柔道の復活を目指す国際柔道経営への参画強化のための体制は、オールジャパンで作るべきだ。先般自由民主党が麻生太郎氏(現首相)を会長として「スポーツ立国調査会」を立ち上げた。森喜朗元首相が最高顧問である。同調査会から応援を得ることも有益だ。国際スポーツマネージメントの見地からの人材養成や各国の情報収集には、「スポーツ立国」の視点から、文部科学省や外務省の側面的協力もほしい。最近の国際スポーツ界の選挙では各国が国を挙げて取り組む傾向がある。状況によっては、情報収集や要人紹介に在外公館の支援も必要な場合があるかもしれない。  
容易ではないが、国際柔道における発言権強化は日本として実現すべき重要戦略であり、人材を柔道界内外から募り、政界、経済界、政府等の協力も得て、早急にオールジャパンで取り組む必要がある。