小川郷太郎の「日本と世界」

平和について

2010年6月 (外務省参与)小川郷太郎

人々がみな平和を望んでいるのに、現実の世界では戦争や紛争が繰り返され、争いを通じて民族間の憎しみや非難が増幅します。国と国の間だけでなく、個人と個人の間でも争いは絶えません。人間は本来好戦的であるのかと思うこともありますが、よく見てみるとそうではなく、多くの場合、相手側の意図や性格についての無知や誤解があるために争いは起こり、激化するのです。何十年と続くパレスチナ紛争はその典型的な例ですし、日本と近隣国の間に起こる不信感や相互非難もそうだと思います。
相手の置かれた境遇を知り相手側の心理をより深く理解することができれば、衝突を避け解決の道を探ることは全く不可能ではないと考えます。争いは、自分の立場だけから物を考え相手の状況を理解しようとしないことで、継続し激化もします。逆に自分を相手の立場に置いてみて、自分が相手側にいたらどう感じるか、どう行動するかを考えてみると、自分の行動をどのように規律したらよいかについての考えが浮かびます。そしてその場合、相手も自分と同じ人間としての感情をもっていると思うことが肝要です。そうした相手の立場や人間としての心理を考慮しないと、相手を悪魔のように看做してその意図を見間違うことになります。それが無知や誤解というものなのです。これは家族や友人との関係でも、国家間の関係でも同じだと思います。
私は長く外交官を勤めてきたのですが、こんなことを言うと、「国家間でそんなナイーブなことは通用しない」と言われることがあります。しかし、日本との戦争や日本による植民地統治の対象となったアメリカやフィリピンや韓国に住んでそれらの国の人々と様々な議論や交流をした経験によって、私は一層それを強く感じるのです。 だから、平和を目指すためには、個人も国家も、謙虚さをもって相手の立場に立ってみることが大変重要だと考えます。こうした姿勢は自己の殻に閉じこもっていては、到底望めません。自分の外に出て様々な人と交わり、あるいは外国を見てまわり人々と語り合えば、相手の気持ちも自分たちと同じだということがわかり、また、人間の社会も国際社会もいずれも強い相互依存の関係にあることが理解でき、互いに共生することを志すようにもなるでしょう。
そういう心を育むには家庭や学校の教育が大事ですが、「自分は社会によって生かされている」「社会は心の花園」「御陰様」などの精神を持つ仏教の教えにも大きな役割を期待することができます。そうした心を持って、自分の周りを見渡し人と交わることが平和に繋がるのだと思います。平和について 2010年6月 (外務省参与)小川郷太郎 人々がみな平和を望んでいるのに、現実の世界では戦争や紛争が繰り返され、争いを通じて民族間の憎しみや非難が増幅します。国と国の間だけでなく、個人と個人の間でも争いは絶えません。人間は本来好戦的であるのかと思うこともありますが、よく見てみるとそうではなく、多くの場合、相手側の意図や性格についての無知や誤解があるために争いは起こり、激化するのです。何十年と続くパレスチナ紛争はその典型的な例ですし、日本と近隣国の間に起こる不信感や相互非難もそうだと思います。 相手の置かれた境遇を知り相手側の心理をより深く理解することができれば、衝突を避け解決の道を探ることは全く不可能ではないと考えます。争いは、自分の立場だけから物を考え相手の状況を理解しようとしないことで、継続し激化もします。逆に自分を相手の立場に置いてみて、自分が相手側にいたらどう感じるか、どう行動するかを考えてみると、自分の行動をどのように規律したらよいかについての考えが浮かびます。そしてその場合、相手も自分と同じ人間としての感情をもっていると思うことが肝要です。そうした相手の立場や人間としての心理を考慮しないと、相手を悪魔のように看做してその意図を見間違うことになります。それが無知や誤解というものなのです。これは家族や友人との関係でも、国家間の関係でも同じだと思います。 私は長く外交官を勤めてきたのですが、こんなことを言うと、「国家間でそんなナイーブなことは通用しない」と言われることがあります。しかし、日本との戦争や日本による植民地統治の対象となったアメリカやフィリピンや韓国に住んでそれらの国の人々と様々な議論や交流をした経験によって、私は一層それを強く感じるのです。 だから、平和を目指すためには、個人も国家も、謙虚さをもって相手の立場に立ってみることが大変重要だと考えます。こうした姿勢は自己の殻に閉じこもっていては、到底望めません。自分の外に出て様々な人と交わり、あるいは外国を見てまわり人々と語り合えば、相手の気持ちも自分たちと同じだということがわかり、また、人間の社会も国際社会もいずれも強い相互依存の関係にあることが理解でき、互いに共生することを志すようにもなるでしょう。 そういう心を育むには家庭や学校の教育が大事ですが、「自分は社会によって生かされている」「社会は心の花園」「御陰様」などの精神を持つ仏教の教えにも大きな役割を期待することができます。そうした心を持って、自分の周りを見渡し人と交わることが平和に繋がるのだと思います。。