小川郷太郎の「日本と世界」

 

井上康生、これからの道を語る

 

シドニーオリンピック金メダルなど柔道(重量級)で輝かしい実績を誇る井上康生(33歳)氏は現役引退後の2009年1月より2011年1月まで日本オリンピック委員会(JOC)の派遣によりイギリスで研修した。帰国後の報告会で語ったことから、柔道の素晴らしさに一層の確信を持つようになり、そうした柔道が世界の中でさらに健全に発展するために尽くしたいとの強い熱意が感じられた。研修中、積極的にイギリス社会のなかに溶け込み、また、20か国余りの欧米諸国を訪問して柔道指導や交流に努めた。日本柔道界では国際的視野で行動する数少ない若手指導者として今後の活躍を大いに期待したい。

英国研修から帰国後の現在、東海大学武道学科の専任講師、同大学柔道部副監督、全日本柔道連盟のナショナルチーム・コーチなどを務め、学生や選手の指導に忙しい毎日を過ごしている。忙しすぎて、愛妻、3歳と1歳の可愛い子供のいる家庭で過ごす時間が少ないと嘆く氏の顔には、畳の上では見られない人間的な優しさが満ちていた。

一流選手から指導の道に入ったばかりであるが、これからの井上康生の進路に関心がもたれている。晩秋の一夕、ナショナルチームの指導を終わって急いで駆け付けた康生氏とじっくり話をした。2時間あまりの打ち解けた雰囲気の中で、氏の人柄や思想と行動が伝わってきた。イギリスでの研修が、視野を広め今後の活動に新たな刺激を与えているようにも見える。

以下は、見出しを含め筆者による井上氏発言の要旨である。

                   (20011年11月19日記  小川郷太郎)

 

 inoue inoueogawa

 

世界における柔道の価値と意義

 

イギリスをはじめ多くの国で柔道を通じて交流した結果、世界では非常に幅広い職業や年齢層の人々が真摯に柔道の技や礼節を学ぼうとしていることに印象付けられた。また、これらの老若男女が柔道を楽しみながら練習している姿を目の当たりにして、これは柔道のもっている価値がその背景にあるのではと思った。これまでの選手生活ではわからない事だった。

こうした経験を通じて柔道の素晴らしさを改めて知った。自分は、世界で柔道の教えが正しく広まるようにもっと多くの人が関わることができればよいと思うし、自分もそのために何か貢献できるよう考えて行動していきたい。

今日の柔道への思い

 

最近の世界での柔道の傾向を見ると、「自他共栄」の思想に少し反しているのではないかと思える。全体として競技志向が強くなりすぎており、問題が生じている。ひとつは、国際柔道連盟(IJF)加盟の200カ国・地域の間に格差が出てきたことがある。すなわち、貧しい国や地域への配慮が足りない点だ。例えば、ホテル代も高額で国際試合に選手を送れない国や、ポイント制のもとでポイントをとれない国の選手をどう救うかという問題もある。

我々は決して、「自他共栄」という柔道の精神を忘れてはならない。柔道は国際試合で活躍する選手たちだけで支えているものではない。世界に公平に柔道が広まるためには、弱者には別途の手当ても必要だろう。もっと貧しい国や地域への支援強化を考える必要がある。

海外で長く柔道を教えている人々に多く出会った。日本の柔道界も含め、世界各地で柔道の発展に尽くしている人々への配慮がもっと必要ではないかと感じる。指導者が老齢化し後継者がいないところも少なくないが、他方で、若い柔道家のなかに海外で活動したい人々がいることも知っている。需給をマッチさせないのはもったいないと思う。

柔道」のために人材の糾合を

 

日本の柔道界では出身校ごとにまとまる傾向がある。また、メダル獲得を目指す見地から外国に対して開放的ではない姿勢をとる事がある。例えば、日本人指導者が日本のライバルともなる国の選手を教えることに反対する人もいる。出身校とか日本とかが強くなることを考えることは必要だが、より大きな視点で柔道やその精神が世界で健全に発展するように考えることも重要だ。日本人の指導者によって強くなった外国選手を日本人選手が打ち負かすことによって日本の柔道もさらに強くなる。

日本でも世界でも柔道界には多くの課題がある。課題の克服には多くの人の力が必要である。出身校や国の枠にあまりこだわらず、「柔道」という立場から「オールジャパン」で多くの人材を糾合することが重要だと思う。たとえ選手としての実績がなくても経済界その他で活躍している柔道経験者や柔道に関心のある人にも柔道の発展のために活躍できる道を開くことが望ましい。国際的課題に対しても、柔道の創始国である日本が礼節も含め発信力や指導力を高めることが大変重要だと考える。国際的に指導力を高めるためにもIJFやアジア柔道連盟で活躍できる人材を育成し、送り込むことも必要ではないかと考える。そのための選挙運動の重要性も認識している。柔道の技術的な指導や国際的活動のいずれについても、常に計画的人材養成がさらに必要な時代である

日本柔道は強くあるべし:その練習方法は?

 

最近の日本の男子重量級が結果を出していないとの指摘にはナショナルチームのコーチとしても苦慮している。自分としては、やはり日本柔道は強くあるべきだと強く考えている。その見地から、先ずとくに重量級の選手にいかに日本代表としての自覚を強めさせていくかという課題がある。また、最近の日本人の子供の平均的身体能力が相当落ちていることやDNA的には日本人がジャマイカなどの外国選手に比べて瞬発力が低いという現実などがあるが、それを踏まえどのようにして外国選手に勝てるか、さらに研究や工夫が必要になる。

 練習方法については、きつく、長く、厳しい練習をこなすはもちろんだが、大きく変わった現在のルールで戦っている選手やコーチ、様々なプロフェッショナルな方々の意見も聴いていき、練習方法をより合理的にし、練習内容をもっと工夫する必要もあると考える。内容的には、立ち技においてはまず組手と足技にもっと習熟させたい。力の強い外国選手に組み負けないで自分の組手に持っていくための練習を重点的に行わなければならない。また、自分が変化し相手を動かし足技などを使って立ち技から寝技に持ち込むことが有益だが、そのためには足技にもっと習熟することと寝技の徹底的な反復練習が必要だ。最近の国際試合では寝技の比重が少ないが、寝技に持ち込んで勝てる技術を身につけることが有利になる。最近の選手には寝技においてどのように動いてよいか戸惑っている例も見られる。寝技を徹底的に習熟させたい。ルール改正で変わった柔道衣では締技も使えば効果的になる。

もうひとつ、今まで以上に海外選手の練習や試合ぶりの研究をしなければならない。日本の選手は海外で詳細に研究されている。世界を見て海外の練習の仕方も含め情報収集を強化し、海外柔道の研究を深めることが重要だと思う。

将来目指したいもの

 

今後の自分の活動については、いまは指導者の道の緒に着いたばかりであり、当面は経験を積んで、より影響力を行使できる立場に立てるようになってから自分の考えを実践していきたい。そのためにも、いまは様々な経験を積み、また、多くの人から柔道に関していろいろ学んでいくことにより、今後の自分の活動に役立てていきたい。

 今までの枠組みなどを超えた広い視野から柔道の健全な発展のために貢献していきたいという気持ちを持っている。