小川郷太郎の「日本と世界」

柔道が私に教えてくれたもの

(編集部解説)

 本誌の日本特派員である小川郷太郎氏は、元大使を務めた柔道6段で毎週柔道を練習している。氏は半世紀にわたる柔道修行を振り返り以下の通り率直な感想を披露した。それは日本人の柔道に対するとらえ方(ビジョン)でもあるが、実際普遍的なビジョンとも言える。

(小川氏は、67歳、既婚、3児の父、講道館6段、元大使、全柔連国際委員。氏の考えは www.judo-voj.com 参照)

柔道修行50年

この記事を執筆しようとして、自分の柔道修行がちょうど50年になることに気がついた。柔道を始めた頃、練習はとてもきつかった。特に最初の頃、先輩は私を容赦なく投げるし、いとも簡単に抑え込み、あるいは首を絞められた私が「まいった」の合図をしても放してくれなかった。寒稽古は真冬の一番寒い朝に暖房も何もない道場で行われる。何十年にわたる稽古の過程で何度も怪我をした。考えてみると、自分はこの肉体的にも精神的にも非常にきつい柔道が好きだと言わざるを得ないことになる。どうしてなのか。

たぶん自分にとって、苦しいことをあきらめずに耐えることが精神的満足感のようなものを与えてくれるからかも知れない。稽古に集中しているときは禅の瞑想の中にあるような状態ではないかと思う。何も考えないのである。激しい練習の後、身体の疲労が精神を解放してより自由になれる気がする。それは私に達成感のようなものを与えてもくれる。しかし、このことは一体何かの役に立つのだろうか。そしてそれはいかなる点で柔道に特有のことと言えるのか。私の周囲の人は、長い間の柔道の稽古が私の忍耐力、冷静さ、落ち着き、困難に当たって慌てない資質を深く涵養したと言ってくれることがある。

本質的なものを求める

練習に耐えようという意志、最も正しい動きを探究することなどは、私をして真に重要なことだけを追求する姿勢を陶冶した。畳の上にいるときと同様に、日常生活でも自分には華美なものは必要でないし、また、うわべを飾る必要もない。柔道が教えてくれた素晴らしいことは、簡素であることの価値である。質実と言ってもよい。確かに、私が関心を持つのはどちらかというと簡素さである。これらは私の日常生活で役に立っているし、意義がある。多くの私の柔道の友人、少なくとも年代が上の層の人たちは、この点で同じだと思う。皆、柔道を通じ、あるいは柔道のお陰で、このことを理解しているようだ。

日本からデンマークまで

練習のはじめと終りに正座して行う「礼」の動作であろうと乱取りで互いに相手に繰り返す「礼」であろうと、それらをしきたりにしたり守るべき行為にしたりすることによって、練習を通じて「礼」が習慣として体に浸み込んで行く結果、謙虚さ、卑下、他者への敬意などが身に付いてくるのである。このことは本来日本について言えることであるが、これらが世界でも通用していることを感じていつも感動を覚える。40年前にボルドーの道上先生の道場で会ったフランス人柔道家たちの謙虚で他人を尊重する態度に深く感銘を受けた。柔道を学ぶ者のこうした資質や態度は日本から何千キロも離れたどこでも出会った。デンマークやカンボジアなどの道場の子供たちを含め、実際私が滞在したどこでもそうであった。

長い間に習得

私は、もし、柔道を正しい方法で十分長い期間学べばこうした資質を身につけることが出来ることを知った。また一方で私が分かったのは、柔道が与えてくれるものの全体を理解することや柔道が我々に示すことが出来るものの障害になることのひとつは、試合を過度にあるいは絶対的に重視する傾向、俗にいう「勝つための柔道」への傾斜である。それだけではないが、過度の試合重視傾向は問題を起こしている。

「死」と対峙する柔道

日本女子柔道界のリーダーである山口香さんは、日本で起こった3月11日の大震災の時の気持ちをこう私に明かしてくれた。

「私も激しい揺れを感じた瞬間、死に直面した時にどう立ち向かわなければならないかが

頭をよぎりました。震災のあと、生きる、死ぬということを柔道との関係でどう捉えるか

について考え、修行者が柔道から何を学びうるかについても考えました。

いろいろ考えると、古来の武道の要諦はまさに、死を前にしたときどう立ち向かうかを真髄としています。死に直面するような重大な局面に出くわしたとき、冷静で的確な判断ができるかについて考えると、柔道はそうした訓練に役立つのではないかと思いました。

何か大きな災害が起きるとき、子供は親と一緒にいるとは限りません。一人で立ち向かわねばならない時の心の持ち方に柔道の訓練は役立つのではないかと思うのです。危機に臨んだ際、自分が助かりたいと思うのは当然ですが、他人も助けるということも忘れてはなりません。『自他共栄』の精神です。」

こうした言葉の裏には事実や真実がある。柔道はこうしたことを教えるものであり、山口香氏はそれを信じて話している。山口氏は筑波大学で教え、大きな試合があると日本のテレビで解説をするなど多忙であるが、多くの時間を割いて子供の柔道指導にも力を入れている。

「ケイゾク」

立教高校に約40年間奉職した教育者であり、講道館で柔道指導にも携わる三浦照幸氏(70歳)は、私にこう話してくれた。「柔道の鍛錬によって忍耐力や融和の心が養われる。このことはこれまで私が教育に携わってきた間いつも実際に観察することができた。」

4月末の日本選手権が行われた日、会場で76歳の御婦人に出会った。リュックを肩に背負い軽快な動きであったので、私は50歳代かと思ったほどである。「そのエネルギーの秘訣は何ですか」と私が訊くと、彼女は笑みを浮かべて「継続です」と答えた。30歳で柔道をはじめ、今も練習を続けているそうだ。

柔道とは、単なる訓練というより生き方の養成でもある。柔道は単なる言葉だけではない。日本がこれから立ち向かわなければならない巨大な挑戦に関して、私は内心楽観したい気持ちもある。来年4月から武道はまた中学校の必修科目となる。