小川郷太郎の「日本と世界」

フランス柔道はインスピレーションの源

数週間前、日本のNHKテレビでとても興味深いルポルタージュを見た。内容は、バルセローナ・オリンピック柔道(78㎏級)の金メダリスト吉田秀彦氏のフランス訪問についてである。日本で道場を経営する吉田氏がパリとボルドーなどを訪問し、指導者や選手たちに会った。それはこの大柔道家にとっての驚きの旅でもあった。実は私も驚いたことがある。パリはモンマルトルのシャペール道場(ピエール・ル・カエール氏が道場主)に行って、吉田氏は、先ず日本と同じような道場の静かな雰囲気に印象付けられた。壁には「努力必達」という書も掲げられている。とても日本的で、非常に厳かな雰囲気である。しかし、子供たちがやってくると様子はすっかり変わる。道場に来ると子供たちはすぐに天井に架かっているロープを使ってターザンごっこを始めたり、畳の上でサッカーに興じたりする。練習になっても、代表的でまじめな指導者のピエール・ル・カエールは子供たちのしたいことをさせる。子供たちの笑顔が溢れているのを見て、吉田はこう呟く。「とても楽しそうな雰囲気だ!子供たちの心では道場が楽しみの場所となっているかのようだ。日本では、道場は厳しい場所と思われている。子供たちにいつも我慢を強いるところなのだ。自分があの年齢の時は、柔道が楽しいものと考えたことはなかった。何度やめようと思ったことか。だけど、やめるのは恥だから、だから、、、」フランスでは、多くの技が順々に教えられる。帯の色も年月がたつと変わっていく。これが子供たちの意欲を大いに高めている。
吉田は次に、テディ・リネールの先生であるアラン・ぺリオのボリバール道場を訪問する。そこで我々日本人のテレビの視聴者の目を見張らせたのは、先生と生徒の友人同士のような関係だ。二人の間に距離がない。吉田は、「まるで兄弟みたいに親密な関係」と分析する。ぺリオ先生は怒鳴ることがない。そこが日本とだいぶ違う。リネール自身、質問に答えて「アランは、私を楽しませたり遊んだりさせながら柔道を教えてくれた」という。吉田は、「日本では先生は怖いと感じることが多い。しかし、先生と生徒の間に親しいコミュニケーションを作りながら教えることは可能ではないか」と考える。
吉田はさらに、国立スポーツ体育学院(INSEP)に行きオトーヌ・パヴィアと打込み練習をした。次いで、ボルドーの道上伯道場訪問、ルーシー・デコース、テディ・リネール、ジャン・リュック・ルージェ、ダヴィッド・ドゥイエ、さらには粟津正蔵師範などとも意見交換し、今まで考え及ばなかったことに思いつく。「なぜ、フランスでは柔道がこれほど人気があるのか。どうして、国内どこにでも道場があるほど柔道が成功したのか。」吉田は、ヨーロッパの柔道は非常に強くなったと見る。ルポルタージュの中で吉田はフランス柔道連盟のルージェ会長に直接質問を投げかける。「強くなるにはどうしたらよいか。」
会長の答えは、「稽古を積むことだが、時にはその時々の状況に自分が適合できる能力を獲得するよう、自省してみること」であった。日本人は一般的に、先生に従う良い生徒である。しかし、粟津師範はこう指摘する。「日本の選手は指導者に依存しすぎ、コーチなどが細部にわたって用意する練習メニューに安心して従っているようだ。しかし、相手を知り、相手と戦い、勝たなければならないのは選手自身であって、コーチではないのだ。」
吉田は、結論として、コミュニケーション、開放性、年齢ごとに異なる練習方法などに言及し、全柔連は方針を変更する必要があると述べる。重い言葉である。
ともかく、このルポルタージュで私が最も印象付けられたのは、一流選手か生徒かを問わず、フランスの柔道を学ぶ者の姿勢である。ルージェ会長の事務所に、礼儀、勇気、友情、自制心、謙虚、誠実、名誉、尊敬の8つの言葉が大きな字で掲げられていた。もちろんこれらの柔道を学ぶ上での徳目は日本人も知っている。これは柔道哲学の基本でもある。しかし、日本における日常の稽古でどこまで皆がこのことを真剣に考えているかはわからない。ルーシー・デコースが何気なく、「柔道は私の人生そのものです。柔道の教えは生きるための方法です。柔道は私の学校です。」というのを聞いた。私はこの言葉に心を打たれた。ダヴィッド・ドゥイエが、柔道で学んだことは自分のすべての政治活動、社会的、商業的活動に役立っていると述べたのも聞いた。名も知らない柔道を学ぶ若者も、柔道の稽古を通じ自制力、相手への尊敬の念、自信を得ることができたと述べ、その親たちも柔道が子供たちに良い精神的教育効果をもたらしたと言う。「柔道は人生の学校」とは何とも強いメッセージだ。この考え方がフランス社会に確固と根付いているようだ。素晴らしいことだが、同時に、日本が一種の平手打ちを食わされたような感じがする。日本人はフランスでのこの状況を喜ぶべきだが、日本人自身はこの柔道の価値を忘れていないだろうか。自分たちを見詰めると、居心地が悪い感じもする。