小川郷太郎の「日本と世界」

フランス柔道誌 L’Eprit du Judo 「柔道の精神」
4・5月号 小川郷太郎便り(第1回 和訳)

日本は気分がよくない?

「柔道衣を着たレスリング」とも揶揄されるようになった最近の柔道について、日本では柔道をしない人までが柔道が面白くなくなったと言う。審判規定の新たな変更はこうした印象を変えられるかはまだ確実ではない。国際柔道連盟(IJF)はいくつかの新しい規則を決め、それが明らかに試合の内容を良くしている。しかしそれを認めたうえでも、まだ二つの問題が残るからだ。
ひとつは、急に決められた新しいルールに選手や審判がうまく順応できるかで、もうひとつは、新ルールを適用した場合の影響についても充分考慮はされたのかという問題であるが、事前に技術的見地から慎重な議論がなされたか疑問が残る。
国際試合の会場の雰囲気は年々派手になって、重い感じがする。日本では最近の国際試合の新たな「装い」に対応しようと努力しているが、日本人一般はその華美な様相は困ったものだと感じている。試合中に大きな音楽をスピーカーで流したり、勝者に大きな小切手のサンプルを渡したりする、こうした柔道の演出方法は日本人の気持ちに合わないものである。日本人の中には「嘉納治五郎杯」と呼んでいた日本での国際試合が「グランドスラム東京大会」の名称に変更されたことにも不満を持つものが多い。上野、中村、山岸ら有力な女子選手を指導する柳沢先生は、「柔道というものは倫理的規律の習得であって、金銭とは関係がない」と最近私に述べた。そして「柔道はプロスポーツでもないし、ましてショーでもない。観客を喜ばせるような音楽は必要ない。柔道はそれが行われるだけで充分だ」とも付言した。
柔道に関わる選手、修習者、専門家、指導者、学者など日本人にとっては、重商主義的な柔道の新しい傾向には心地よいとは感じていない。では、どうしているかといえば、結局、国際柔道の流れに黙っているか、「柔軟さ」を発揮してやむなくそれに従っているのである。国内外で柔道に関しては日本がリーダーとして対応することが期待されているのに議論から身を引いているのである。この点で、1年前嘉納行光氏を引き継いで日本柔道界の最高指導者となった上村春樹氏が最も重要な立場に立っている。上村氏は、日本柔道界の第一人者であるだけでなく、日本の柔道界ではビゼールIJF会長に助言できる立場にあるとされているが、同氏はビゼール会長に対し、柔道において大事なもので山下泰裕氏も同様に守ろうとしてきた柔道の真の魅力を発揮させるよう説く責任を有している。柔道の真の魅力とは、指導や有効でポイントを稼いで勝ったり、どんな技を使ってでも相手に勝つというのではなく、一本で勝つことである。柔道の醍醐味とはそれである。上村氏はそれをわからせることができるであろうか。上村氏は、IJF理事、講道館長、全柔連会長、日本国内オリンピック委員などの極めて重要ポストを兼任している。仕事上の責務は膨大である。その重さを梃子に議論をすることも出来ようが、いまや彼は仕事を整理しなおすことが期待される。私としては、上村氏が自身のエネルギーのより多くを国内ではなく国際的活動に向けていただきたいと思う。日本国内では国際的に影響力を行使できる人材は少ないが、国内活動では多くの指導者がおり、責任を分担させることもできよう。上村氏には柔道の将来という最重要なことに精力を集中してほしいが、それは彼一人でやるものではない。フランス、ロシア、韓国などに、より美しい柔道、より節度のある国際大会の運営を求める声は多い。こうした声を糾合して響かせる必要がある。