小川郷太郎の「日本と世界」

世界を歩いて思うこと
                           

私の世界行脚 

  本日お集まりの皆さま、初めてお目にかかり、とても嬉しく思います。この度、サハ共和国の連邦対外関係省にお招きいただきました。心より感謝申し上げます。
サハ共和国に来たのは初めてです。ヤクーチアは中学か高校生の時代に地理で学んだだけで、1980年代末期のモスクワにある日本大使館勤務時代にも来る機会はありませんでした。だから、ちょっと興奮しているのですが、皆様の温かい眼差しを頂いて、まるで日本の友達に話しているような落ち着きを感じます。どうか宜しくお願いします。   
まず、私の経歴を簡単にお話しします。私は、いま71歳ですが、人生の約3分の1の24年間を外国で、しかも8つの異なる国に勤務しました。日本の外務省に勤めたことがその理由ですが、外務省に入ったのも、高校時代にアメリカに1年留学したことが大きなきっかけとなりました。外交官を目指したのは、アメリカでの留学時代のある出来事が影響しました。ある日、アメリカの家族とのいつものように寛いだ夕食の場で、私が広島に落とされた原爆のことに触れたとき、家族との間で感情が移入した大論争になったのです。世界で唯一の被爆国国民である日本人には、この非人道的な兵器の被害者としての意識があります。アメリカ人は日本による真珠湾の奇襲攻撃が日米戦争の発端となり、原爆はその戦争を早く終わらせるためのものだったとの主張をします。私は双方の考えの違いは承知していましたが、同じ事象について当事者の間には全く違う見方や強い感情があることをあらためて心にしっかり刻みました。それ以来、戦争のことや平和についてより深く考えるようになり、外交官の道を目指したのです。戦争を交渉で回避することの重要さやお互いの誤解や偏見をなくすことが平和につながると考えたからです。
外務省勤務の約40年の間にフランスに2回勤務したほか、フィリピン、旧ソ連、韓国、ハワイ、カンボジア、デンマーク、リトアニアに勤務し、最後は、イラクとアフガニスタンの戦後復興を支援する仕事に携わりました。この間、欧州、北米、アフリカ、アジア、中東、中南米の多くの国に出張いたしました。随分と歴史や文化の違う多くの国を知り、多様な考えを持つ世界の多くの人々と触れ合い、心が通じ合うことの喜びを感じました。

世界行脚で分かったこと

皆さまも経験がおありでしょうが、外国に住んでみると、それまで気が付かなかったことに気付き、自分の国にはない素晴らしいことを発見することがあります。歴史や文化の異なるいろいろな国に住んでみて、私が強く感じたことを4つ挙げてみます。
第1に、世界の人間は地球上のどこでも同じだということです。当たり前のことかもしれませんが、どんな民族であれ、人間の感情には同じものがあります。家族や友人が亡くなると深い悲しみを覚えます。それなのに世界では国や民族の間で戦争や紛争が絶えず、多数の無辜の人々が犠牲になっています。そして、周りの人が殺されると誰でも深い悲しみに打ちひしがれ、相手側に対する憎しみを増幅させます。しかし、攻撃した側は、まるで世界どこでも人間の感情は同じだということに気が付かないかのように、相手側の死傷者の家族や友人の、人間としての悲しみには心を寄せません。外交関係では、常に相手の国や民族の気持ちにも思いを馳せることが問題解決に重要だということを感じています。
ふたつ目の感想は、世界には誤解や無知や偏見が満ち満ちていることです。1988年の夏の終わりに、私は初めて旧ソ連のモスクワに赴任しました。正直に言いますと、それまでは漠然と超大国で社会主義経済体制のもとのソ連という国に近寄りがたい気持ちがあって、そこに住む国民に対しても一種の冷たいイメージを抱いていました。しかし、モスクワで生活してみますと、ソ連の人々はみな温かく、知性や芸術への関心も高い、とても親日的で人間的な人々だということを知りました。私の無知や誤解を、そこで知りました。
いま、残念ながら日本と中国、日本と韓国の間の国民感情が悪くなっています。政治家の言動やメディアの報道が、相手国の悪いところを強調し、良いところには触れない傾向があり、その結果、相手の国の全体像や実際の姿が歪められてしまうので、互いに相手に対する悪感情が増幅している面があります。韓国に3年余り生活して、私は韓国の素晴らしいところを知り、多くの素晴らしい韓国人の友人がいます。日本にだけいると相手国の良さが見えないのです。
世界でとどまることのない数々の戦争や紛争の背景に、誤解や無知や偏見が紛争を増幅させていることがあると感じています。
第3の感想を申しますと、国や民族の大小に関係なく、世界のどの国もどの民族にも素晴らしい独自の文化があります。それを知ると興味が一層増して、その国や民族に対する尊敬の念や愛着の気持ちが湧いてきます。今は最貧国のひとつとされるカンボジアには、12世紀を頂点に約6世紀にわたり栄えたアンコール文明があります。世界遺産のアンコールワットの気宇壮大な宇宙観に基づく設計や巨大な寺院の石彫に刻まれた繊細な意匠や洗練された美しさは驚異的で圧倒されます。「文化」という意味を広く人間の生活のありさまととらえるならば、今日のカンボジア人が想像を超えるほどの貧しさの中でも、目に輝きと幸福感を漂わせて謙虚に生きる姿から、「幸せとは何か」という人間の生き方について教えられる思いです。また、デンマークでは、家庭を大事にし、家事や育児も男女協働で行います。そして、驚くほどの高い税負担にも拘らず幸せ感を持って豊かに生きています。そうした人々の生き方や社会の制度にも、新鮮な驚きを感じ、多くを学びました。
世界と日本を行ったり来たりしていると、自然に日本を外国から見つめる習慣ができますが、私は、日本がきわめて多様で奥深い文化を持っていることに強い誇りを持つようになりました。能や歌舞伎などの古典文化から華道、茶道、俳句、工芸等生活に根差す文化、さらには、すしや和食、ポップミュージック、マンガやアニメなどの近代的な生活文化など、多種多様な日本の文化に世界中の人々が関心を持ってくれていることを非常に嬉しく感じます。世界の国や民族はそれぞれ異なる文化を持っていますが、その「違い」を知ること自体がとても興味深く、また「違い」を通じて自分たちにないものを学べます。文化は、お互いに相手の良さを知り、学び合い、親しくなれる貴重な価値を有する人類の資産であることを知りました。サハ共和国に来て3日経ちました。日本ではサハやサハ民族のことについて殆ど知りませんでしたが、来てみると、この国には豊富な天然資源があるだけでなく、非常に高いレベルの工芸、美術、音楽などの素晴らしい伝統文化があることを知り、感銘を受けました。
四つ目で最後の感想を申し上げます。それは国や社会のあり方についてです。世界の国々や民族はそれぞれ違いますが、人間性には共通のものがあり、人間が自然に希求する価値には似たものがあるということです。そのような共通の価値というものには、よく言われる民主主義とか市場経済などがあります。これも私の率直な感想ですが、旧ソ連時代の市民は厳格な社会統制や日常生活における消費財の極端な欠乏に苦しんでいました。当時のインテリ層の強い怒りが今でも私の耳に残っています。ロシアを含め、市場経済を導入した多くの国の経済は急速に発達して、格差の問題は残りますが、全体的な国民の生活水準は随分と上がりました。日本は19世紀後半に鎖国政策を一転させ国を開放することによって欧米諸国に追いつき、今や先進国の一員になっています。世界の普遍的価値を取り入れたことが大きな要因ではありますが、文化の面では独自のものを維持・発展させています。ただ、我が国では、封建時代を長く過ごした伝統もあってか、現在も社会の中における男女格差は大きく、これが国のさらなる発展にとっては否定的要素であることに気付き、安倍内閣は今や女性の力を国の成長や発展に生かす政策をとり始めました。女性の感覚や能力を生かすことが、製品開発や組織運営にも大きな肯定的要素をもたらすからで、これも世界の他の国の経験に学ぶことにほかなりません。サハ共和国でも社会における女性の地位が高いことに敬意を表します。自由で公正な社会の制度を築き、国を開き世界の優れた制度を導入することが国の発展に繋がることを確信するようになりました。

とどまることのない世界の紛争

このように、世界はお互いに理解し合い学び合うことができるのですが、現実には紛争や戦争が絶えません。現在も連日のようにイスラエル・パレスチナ紛争が続いています。イラクやシリアではシーア派とスンニー派が、あるいは政府軍と過激派武装勢力との間で、ウクライナでは親ロシア勢力と政府側との間で武力衝突が起き、毎日多数の人々が殺されています。先日は、この紛争に関係のないマレーシア航空機がウクライナ上空で墜落しました。民族間の紛争の中でもイスラエル・パレスチナの抗争は悲劇ですね。一方が、ロケット弾を打ち込むと他方が報復の爆撃をする。それでまた打ち返す。するとまた反撃がある。子供を含め多数の犠牲者が増え、街は破壊されていく。お互いの相手に対する憎悪がますます進み相互の不信感が強まるので、停戦に合意してもそれが崩れてしまう。何十年と同じパターンが繰り返されてきましたが、まだそれを逆転させる叡智はいずれの側からも出ていません。旧ユーゴの民族紛争も悲惨でした。同じ地域に住んでいても、民族間の交わりが少ないせいか、相互に相手に対する偏見や不信と武力闘争の悪循環が続き犠牲者が増えました。アフリカ大陸でも紛争が続いています。
紛争には、資源の争奪、貧困、民族の違いなど様々な要因がありますが、やはり、誤解と無知と偏見が抗争の悪化を助けていると思わざるを得ません。民族間の抗争では、無知や誤解や偏見は政治指導者の言動やメディアの報道によって激化します。ナショナリズムを煽ると誤解や偏見が拡大するのです。
困ったことに、武力抗争が始まると、各国は「抑止」をめざして相互に軍事力を増強し合い、武器は国境を超えて拡散していきます。武器供給のため、軍需産業が動きます。そこにビジネスの論理も働きます。いったんこの動きが始まるとなかなか元に戻せません。人を殺傷する兵器が増産され、死傷者や難民の数が増えていきます。いま世界はそういう状態になりつつあります。

どうしたらいいか

この動きを何とか逆転できないでしょうか。我々はどうやって、世界の紛争を減少させることができるのでしょうか。世界を歩いてきて多くのことを学んだ私が政治指導者になったつもりで、考えてみます。
先ず、今起こっている世界のそれぞれの紛争について、国際機関や地域機関の関与を得て当事者同士が戦闘を停止することを話し合う。当事国のそれぞれの友好国は、当事国に対しこれまでのように軍事的支援をするのではなく、停戦を勧奨すべきです。世界の現実はそれが容易でないことを示していますが、停戦実現と停戦維持を担保するためにより多くの国が関与する仕組みを作る一方で、戦闘や停戦の有無とは直接関係なく、より広い世界の国々の間で一般的に人々がもっともっと、今より遥かに継続的に、お互いに知り合う運動を勧めたいと思います。
国連のような場で議論をして、例えばこんなことに合意できないでしょうか。先ず、各国の軍事費を、現在より増やさない。現状で凍結する。これが守れたら、段階的に軍事費を一定の割合で削減していく。さらには、現在の軍事費の一定のパーセントを人の交流の予算に移し替える。軍事費を5%でもあるいは1割減らして人の交流予算に向ける。これだけでも相当のことができるはずです。交流の対象はジャーナリストやオピニオンリーダーなどを相互に1~2年外国に滞在させて外国の実情や国民感情を自国に伝える。教員や政治家も長期又は短期で交流させて相互に理解し合う。青少年交流もできるだけ大規模に、長い期間にわたり継続的に行い、互いに相手国の良いところを知り親近感を持つように持っていく。このなかで、感受性の強い中学生、高校生ら若い世代の留学は効果が大きいので大いに進めるべきだと思います。
 異なる民族の人々の間でもしばらく一緒に会って話をしていると、お互いに皆人間同士だと思うようになるかも知れません。それが交流の意義であり効果なのです。相手の良いところを知れば、そこから自分も学ぶことができます。良いところがわかれば、それを尊重するようになります。ただ、文化の押し付けはよくありません。かつてアメリカの大統領が、中東地域に民主主義を浸透させれば、その地域の人々は幸せになると思って、アメリカ式の民主主義の移転に努力しました。しかし、どんな国にも固有の文化や考え方があるので、うまくいきませんでした。アメリカの人が中東に住んでみるとそういうことも理解できます。だから、お互いに相手の国に行って、住んでみて交流することが大事です。国と国、民族と民族が争っていると、相互理解は決して容易ではありません。ナショナリズムは有害になります。しかし、交流を続け人間関係を構築できれば、必ずや相互理解は進みます。だから、交流は、大規模に長期・継続して行う必要があります。人を殺傷する兵器の開発や生産に必要なお金より遥かに少ない金額で済みます。相互理解が進めば、抗争は減ることが期待されます。そうなれば軍事費の増額の必要性はなくなり、平和のために使うお金をさらに増やすことも可能になるでしょう。
こんなこと、夢物語だと言われるかも知れません。でもやってみれば、そうでないことがわかるでしょう。私が関わったひとつの例をご紹介します。柔道で不敗を誇る世界チャンピオンだった山下泰裕さんは、皆さまご存知ですね。私の友人ですが、柔道を通じた国際的な相互理解を進めるNPO活動を熱心にしています。2年ほど前から、イスラエルとパレスチナの子供たちやコーチに柔道の指導をしていますが、その一環として子供たちやコーチを日本に招いて指導しています。日本に来たイスラエルとパレスチナの子供たちは一緒に練習し試合に出ていくうちに、最初はぎこちなかったですが、しだいに仲良くなり、お互いに柔道を学ぶ友人として、また人間として相手を見るようになったようです。スポーツは、知らない人同士が親しくなるうえで、すごく大きな力を発揮します。
これは小さなひとつの例ですが、人間同士が直接接触することにより相互理解が可能になることを示しています。抗争している者同士では、そうしたことができません。交流がもっと大きな規模で、国と国、民族と民族との間でできるか否かは、政治指導者の叡智と勇気にかかっています。世界がこれから、今までより平和で豊かに過ごしていけるかについては、政治指導者に叡智と勇気があれば夢ではなくなると私は思いたいのです。
現に、たった3日だけの滞在で、私はサハの皆さまに強い親近感を覚えるようになっています。直接会って話し合うことの重要性をあらためて感じます。サハにまた来たいと思っています。サハ共和国と日本の交流がさらに進むよう、私もこれから努力したいと思うようになりました。

 ご清聴、ありがとうござました。