小川郷太郎の「日本と世界」

世界の国々から学んだこと

 

1.はじめに
私は外務省に約40年間勤務したが、そのうち海外は7カ国で合計23年間を過ごした。高校時代のアメリカ留学を入れると海外生活は24年間になる。その他出張でアフリカや中南米など5大陸に出かけ、外務省最後の仕事としてイラクやアフガニスタンを往復して復興支援の仕事に携わった。様々な政治や社会の制度、文化体系、開発のレベルの国々をまわり、眼を見張るような多くの体験したが、こうしたことから、いつも世界を俯瞰するような姿勢が身に着いた。

2.勤務した各国・地域で学んだこと、印象に残ったこと
(1)フランス:2度の勤務で合計7年半滞在したが、フランス人の生き方に強く印象付けられた。自分が何をしたいかについて明確な意識があり、自分が欲する生活を実現しようと努力する姿勢が強い。例えば、夏に1か月くらいのバカンスをとる。会社を休んだり、レストランやクリーニング屋も店を1か月閉じてしまう。周りの人や顧客に不便をかけるが、バカンスをとる個々の人にとっては心身をリフレッシュし、さらに充実した生活を目指す貴重な営みである。私も2週間のバカンスをとってみたが、仕事や個人の生活面でいろいろ新しい発想も湧いてきた。
フランス人は個性が顕著で自己主張も強いが、必ずしも自分勝手ではない。お互いに他人の言動を尊重することによって社会の秩序も形成される。日本人は周囲に気を遣い自己抑制をすることが多く、自己実現ができにくいことがある。日本人はもう少し自分を大切にしても良い。
(2)フィリピン:第2次大戦中に日本軍が占領したこの国において、戦争の傷跡はフィリピン人の心の中にまだ静かに残っていた。マッカーサー将軍が率いる連合軍との壮絶な戦いで日本兵も33万人以上が死亡したが、多くのフィリピン人も犠牲になった。ルソン島やレイテ島などだけでなく、遠くの島々をまわって住民と話すと、日本軍との戦いで殺された家族や親戚のことなどが遠慮がちに語られた。明るく朗らかで相手の心も慮るフィリピン人の心の中にも、折に触れて戦争中の体験が蘇る。私の在任中日本の総理が公式訪問したが、国内のメディアでは、日本人男性観光客の見苦しい振る舞いや日本の経済活動などについて、戦争時代の思い出と結び付けた日本批判が噴出したこともある。
他方、フィリピイン人は朗らかで人柄も良く、看護師、介護士、家政婦などのいくつかの分野では有能で献身的に働く。人口が減少し、介護の分野などで人手不足が深刻な日本は、こういう人たちを迎え入れることも必要だと思っている。
(3)旧ソ連邦:1980年代末の旧ソ連邦崩壊直前のペレストロイカ時代を体験して、共産党独裁の信じられないほど不合理で非効率的な社会の仕組みを知った。冷戦時代の超大国米ソ間の対立を背景にした軍事優先で民生を犠牲にした政策のもとでは、日常生活に必要な食糧や消費財さえなかなか手に入らない。盗聴や検閲などによって人々を監視する人間不信の体制の中で、国民が非常に苦しみ怒っているのを見た。
この体験によって、やはり民主主義がいちばん良いことを実感した。経済が発展した今日の中国では、まだ十分な政治的自由がないことにも思いが行く。
(4)韓国:素晴らしい多くの人々と親しくなったが、ある晩、尊敬する立派な方と酒食を共にして歓談しているとき、この教養人が、突然顔面を紅潮させて「小川さん、韓国は日本によって民族と文化を抹殺されたんだ」と周りに響く大音声で怒鳴った。相手の顔をを見詰めると、目が爛々と恨みで煮えたぎっていた。民族意識が強く誇り高い韓国人の多くは、植民地時代の日本の皇民化政策のもとで日本語を強制され名前を変えさせられたこと(創始改名)によって自分たちの民族と文化が抹殺されたと考えている。日本の歴代の総理や天皇陛下までも何度もお詫びの意を表明したが、日本の政治家や知識人がそれに反する発言を繰り返すことが多く、韓国人は、日本人全体に過去の歴史や韓国人の心情に対する認識が希薄である考えて強い不満を持っている。繰り返される反日感情の背景にはこうした事情がある。現地での体験から、日本全体として謙虚に相手の立場に立って考えてみることの重要性を感じている。
(5)ハワイ:ハワイ諸島には素晴らしい自然があり、1年中爽やかな貿易風が吹いて心地よい。太平洋の真ん中に位置するハワイでは、いつも米本土やアジア、オセアニア、ロシアなどから人々が往来し、シンポジウムやセミナーなどを通じて相互理解が進み、人々の交流が行われている。ハワイ社会には日系人を始め多くの民族が融和しながら生きている。自然が人々の性格を育むというが、ハワイにいるとそのことを実感する。人々は皆、心を開いて温かく人を迎える。アロハシャツを着ていると自然と心が開かれ自由に話したくなる。あたかも、風が人々の心を通り抜けて気持ちが通うようだ。堅苦しくない社会の仕組みが大事だと思う。
(6)カンボジア:ポルポト時代の内戦などで国土だけでなく社会の制度や人材もほとんど破壊されたこの国は、途上国の中でも最貧国に属する。都市部を除けば、全国的に電気も水道もない。マラリヤ、エイズ、結核などの感染症の猛威にも苦しんでいる。全国をまわってみて、貧困の凄まじさに何度も胸の詰まる思いをした。「人間の尊厳」が侵されている状態である。日本政府による開発支援(ODA)やNGOの活動がこの国の再建や発展に役立ち、官民から非常に喜ばれていることを目の当たりにした。ODAの重要性や支援のあり方を現場で実感し確信もした。
(7)デンマーク:この国でも目を見張るような発見をした。人々の生き方と「高負担、高福祉」で築かれた羨ましいほどの社会の仕組みだ。幼児の時から自分で考え行動するような教育を受けて自立心が身についているこの国の人々は、高齢者になっても最後まで自分らしく生きようとする人が多い。日本的な「老後」という感覚はないかのようだ。
社会の仕組みは簡素で透明性があり、働いている人たちは、残業もせず定時退社をして家路に急ぐ。男女が協働して家事・育児に関わる姿は、日本人の眼には驚異的だ。その結果、出生率も高まる。もちろん個別の問題はあるが、高負担の恩恵で教育も医療も介護も原則無料である。制度や設備が整っているので、「老老介護」や「介護疲れ」の苦労も見られない。所得の半分を税金でとられ、消費税(付加価値税)を25%を払っても、デンマーク人は世界で最も幸せに感じている。消費税を10%に上げることもままならぬ日本はとても真似はできないが、この国の制度の一部でも参考にすることはできる。

3.世界行脚で気付いたこと
(1)制度や文化の違うさまざまな国に住んで思うのは、世界は実に面白いということだ。どの国もそれぞれ異なるので、その「違い」が面白く、「違い」から学ぶことにもなる。インターネットで何でも分かると考えるのは全くの誤解だ。社会の雰囲気や人の心までは、現場に行って見て人々と交わらないとわからない。
(2)海外にいると日本を客観的に眺めるようになる。日本の大きな特色として感じるのは、①世界中から好かれている国、②閉鎖的なところがある国、③変わらない国ということである。世界の大多数の国が、日本の経済・技術力、ODAなどによる貢献、世界にも稀な多様で深い文化、日本人の人間的資質などに関心を持ち、親近感を抱き評価している。中国や韓国との間では困難があるが、その両国でも日本への関心や親近感を持つ人は多い。他方で、日本には農業分野などでの貿易政策、外国人労働者の受入れなどの面で閉鎖的なところもある。さらに、世界が速いスピードで変化し少子高齢化によって社会的諸制度が時代に合わなくなっても日本はなかなか変わらないという問題がある。目をもっと外に向けるべきである。
(3)見る場所が変われば景色が変わる。国際関係を見る場合に気を付けるべきことは、日本からだけの視点ではなく、いったん相手の国または他国の立場に立ってみて考えることが重要だ。紛争などに関しては、国民感情にも思いを致すことも必要だ。
(4)難しい点ではあるが、イラク戦争やパレスチナ・イスラエル紛争のような諸国間の戦争や紛争を見ると、軍事力は真に問題解決に有効かどうか疑問を持たざるを得ない。

4.むすび
日本や世界のことを考える上で念頭に置いてほしいことをのべる。
(1)グローバル化が進み、日中間を含め世界の相互依存関係が深化・拡大している。
(2)いつも世界を見渡し、現場を体験する姿勢が重要。
(3)日本社会の変革を促すために、積極的に意思表示をしてほしい。「○○に反対」だけでなく、同志を集め、例えば、「○○賛成」「○○を推進せよ」と叫んでも良い。
(4)これからの日本は、やはりアジア太平洋地域の中で協調と共生を目指して行動していくしかない。とくに日中関係は難しいが、視野を広げて様々な分野で交流し、協調・連携を積み上げていくことは可能で、かつ不可欠。