小川郷太郎の「日本と世界」

「本物の柔道」の視点から見た世界選手権

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9月9日より13日まで東京で開かれた世界柔道選手権大会は無事幕を閉じた。今回は800人を越える選手の参加があり最大規模の大会となったが、全体としては整然として行われた。まずは、開催国として上村全柔連会長以下の運営を担う事務局の大変な労苦をねぎらいたい。
男子も含めた日本選手の活躍もあり日本人には概ね満足感がみられる。地元での開催という環境と各国から1階級に2名の選手が参加できる制度のもとで日本が2年後のオリンピックも見据えて若手の選手も多く参加させたことも幸いしたのだろう。来年のパリの世界選手権からロンドンオリンピックに向けてこの勢いを活用していってほしいものだ。
私は毎日観戦するとともに、海外からきた国際柔道連盟又は各国柔道連盟役員やジャーナリストたちと懇談した。メダルの数や技術的側面はさておいて、「本来ありうべき柔道」という見地から感じたことを書いてみたい。

1.「礼節を重んじ、正しく組んで一本をとる柔道」は実現しつつあるか

大会の挨拶で上村全柔連会長は嘉納師範の生誕150周年に言及した上で、今大会が「柔道の原点」に立ち返り、「礼節を重んじて、正しく組んで理に適った技で一本をとる柔道」を目指す機会になることへの重要性を強調した。上村会長が「礼節を重んじて、正しく組んで一本をとる柔道」について最近繰り返し内外に表明していることは、大変結構なことである。引き続きそのメッセージを辛抱強く発していくべきであるが、それを国内外で実現させるために日本が一層の行動をするこがも強く期待される。
上村会長の意図は今大会でどの程度達成されたであろうかをみるに、礼節を重んじるとの目標は、若干の審判員の努力にかかわらず、極めて不十分である。日本人選手も含め、相当数の選手が、勝ってガッツポーズをしたり、勝っても負けてもしばらく畳みの上に仰向けになったりうずくまったりする姿がしばしば見られた。審判に促されてもすぐに起きない選手も少なくなく、見苦しい。国際柔道連盟(IJF)及び各国連盟において礼節の指導を強化する必要がある。
「正しく組む」ことは先般来のルール改正で相当改善が見られる。多くの外国の役員やジャーナリストが、ルール改正で選手の姿勢が改善したことを評価しているが、実際にはまだ長く続く組み手争いはあり、今後はこれをどうしっかり組ませるように誘導するかが課題であり、日本は提言をする立場にある。
「一本をとる」試合は増えてはいるが、「一本」の判定が甘い例が非常に多い。日本の多くの関係者はこの点を問題と考えているが、外国人の問題意識は比較的薄いように見える。これもIJFの場で日本人がイニシアチブをとるなどして議論を行い、「一本」の判定基準をより明確にすべきである。

2.「原点」、「本物」の柔道と審判の問題

今大会でいちばん目に付いたのは審判の問題であった。いくつか私の感じている問題点をあげてみたい。
まず、今大会特有の問題ではないが、試合では審判による過早の「待て」や「指導」が多すぎると思う。「待て」には攻防を促す上で一定の効果はあるが、同時に試合を中断させることによって、相手をしっかり握って機を窺うことや流れのある動きを準備する上で障害にもなる。「待て」が早く来ると思うとしっかり握る余裕がなくなる。だからそのバランスを図ることが重要であるが、私の見るところ、「待て」の宣言が早すぎる場合が多い。特に、寝技で問題が多い。いうまでもなく、寝技では抑え込む準備として相手の肩や腕をしっかり制御したり足を抜くためには多少の時間がかかる。最近多くの審判はそうした動作にそれなりの時間を与えるようになった点で改善が見られるが、まだ、早すぎる「待て」があり、中にはまだ攻め手が足を抜く動作をしていて、あとほんの数秒で足が抜ける状態でも立たせる例が何度も見られた。良い審判もいるがそうでない者もおり、審判の判定の仕方がまちまちである。
「効果」というポイントはなくなり、「指導」が一回だけでは勝敗に影響を及ぼさないものの、指導が繰り返されるとポイントとして効いてくる。さほど時間をおかずに「待て」を宣告して「指導」を与えてこれが繰り返されると、全体として優劣が見られない試合に勝敗を判定する結果になるのは、武道の本質にもとるし試合としても面白くない。「待て」をより慎重に使うことについて意思統一をすることが求められる。
審判員の質の問題も目立った。審判の中には柔道を知らないのではないかと思わせる例も散見された。明らかな誤審と思われる例もあり、また、先ほど述べたように、抑え込み前の足抜きが完了する直前に「待て」を宣言する例もある。また、副審の異議でいとも簡単に判定を変えたりする自信のなさも目に付く。
会場の廊下でIJFのバルコス審判理事に会ったので、過早の「待て」を含むこうした問題を指摘してしばし議論をした。バルコス氏は私の指摘を概ね受け容れたが、5大陸間で審判員数の枠があってその中から公平に選ぶので質の統一を図るのは容易ではないと述べた。私は、それでは審判員の研修を徹底すべきではないかと提案したところ、アフリカ等遠隔地からの審判の旅費の問題等もあると説明してくれたが、IJFの審判指導者が各大陸に出向いたり、大きな大会の際に集中的な講習をするなど、工夫すればできるはずである。審判員の質を高め均質の判定基準が実現するよう、IJFは格段の努力をしてほしい。
バルコス氏については、近くの理事席から畳の上の審判員へしばしば指示をしていた。審判員が判定をする上でバルコス氏のほうを見たりもする。同氏に依存する度合いが目にあまるとの批判がある一方で、バルコス理事のもとでヴィデオを確認して判定することは公平だとして賛成する意見もある。いずれにせよ、審判員自身の質の問題やバルコス理事の影響力の強さから、審判員の権威のなさが明らかな大会であった。審判員のより徹底した研修実施によってバルコス理事の影響力行使が必要でなくなる状況を目指すべきであろう。
上に挙げた審判の問題点は、原点に帰って本物の柔道を目指すとの見地からも改善すべきである。「本物」の重要な要素のひとつとして礼節がある。試合終了後礼儀がおろそかな選手に礼儀を促す審判が見られるようになったことは評価される

3.寝技が重要

今大会でも寝技での勝敗は相対的に少なかった。寝技における「過早の待て」が影響している面もあるが、一般的には選手の普段の寝技練習の比重が少ないのかもしれない。そのためか、接戦が多い中で寝技の技量が勝敗の分かれ目になる例も目に付いた。日本選手の73キロ級の秋元や57キロ(女子)の松本などは、腹ばいで伏せている相手を起こして寝技に持ち込む技量も相当習熟しており、光っていた。全体として、日本の女子選手の寝技の習熟度が高い。寝技はもっと奨励されて良いと思うが、そのためにはルールや審判の意識などを修正する必要もあろう。

4.外国人関係者の感想

国際柔道連盟(IJF)や各国の役員、ジャーナリスらと会場でいろいろな機会を捉えて意見交換した。帯から下を手で直接攻撃することを禁ずるルール改正により試合における選手の姿勢が良くなったことを評価する点でほぼ一致していた。細かい点では意見が別れるとしても、「正しく組んで一本をとる柔道」を目指す方向には支持が強い。
私が上記で論じた諸点についても意見交換した。「礼節」は必ずしも多くの人の主要関心事ではないかもしれないが、礼儀を守るべきとの点では異論はない。審判の質、「過早の待て」についての問題指摘には、大多数が私の意見に同調した。日本選手の寝技についても評価が高く、練習でも試合でも寝技をより重視すべきことについても賛同者が多い。
総じて、フランス人を中心に「本物の柔道」への志向はかなり強く、こうした面で日本がリーダーシップをとることに期待が強いが、現実にはそうなっていないことに失望感も見られた。柔道の国際場裏で日本がより積極的な役割を果たすべきとのこれまでの私の確信は、より強いものとなった。
大会運営面では、全体として大きな不満は感じられなかったが、ジャーナリストの中には観覧席で試合を見ながらインターネットで記事を送信する設備がないことへの不満があった。また、従来から外国人の依頼や照会に対する日本の柔道関係者の対応が不十分ないし不親切で、この点では多くの国で評判が良くない旨を打ち明けてくれるある国の役員がいた。