小川郷太郎の「日本と世界」

ピントが外れていないか、尖閣ビデオ騒動

このところ何日も、尖閣諸島の海域での中国漁船衝突事件に関するビデオ流出について大騒動の議論が続いている。おかしなことに、その議論は、どういう経路で流出したのか、情報管理が杜撰(ずさん)ではないか、誰が犯人で誰が責任者か、ビデオを公開せよなどの点にほぼ集中している。ビデオは繰り返し放映され、国民の目に中国船が故意に海上保安庁の船に体当たりしていることが明らかになっている。それなのに、来る日も来る日も与党も野党もマスコミも、みなこの点に首を突っ込んで喧々諤々だ。攻め込まれた菅首相は、流出の原因究明が第一でそこから始めなければならない趣旨を答えている。
ピントが外れているのではないか、この議論。流出経路や責任者の調査は必要だが、いま日本としてなすべき緊急にして最重要な問題は、国家としての対処の仕方である。即ち、中国漁船が海上保安庁の船舶に体当たりしてきている。尖閣諸島の領有権問題が基底にある。中国政府からは言いたい放題言われている。このような中国の行為に日本としてどう対応するかである。中国政府に対してどう行動するかの議論は全く表面に出てこない。我が方に国家としての対外的行為が見られない。外交や国際関係についての物事の重要性についての感覚が全くないように見える。第三国からみても奇異であろう。不可解でならない状況だ。
それにしてもどうして皆がこのように同じ方向に走るのか。内向き志向が進行し視野がどんどん狭くなっている今日の日本全体の雰囲気を象徴しているのかもしれない。マスコミが繰り返し映像を流し、流出経緯や映像データ流出を告白した海上保安官について報道すると、自民党など野党はそれを見て政治家の責任を追及する。あたかも日本全体が犯人探しや責任者追及に躍起となっていて、他のもっと重要な問題に注意が向かないかのごとくである。皆が同じところに向いて走る傾向は、日本の社会現象としての伝統的性癖でもある。日本では、政党もマスコミも企業も大体みな同じ土俵に乗る。誰かが土俵の設定に異論を唱えたり、抜け駆けしたり、土俵の外で戦うことが少ない。だから方向が違っていても皆でそちらに進んでしまう。こんなことでは、大戦時の苦い経験を忘れ、「いつか来た道」を歩んでしまいかねない。
繰り返すが、この問題に関していま緊急に重要なことは中国にどう対応するかだ。「政治主導」は民主党政権で始まったことではないが、声高に「政治主導」を主張する以上、政治が広い見識と高い視野から国の内外を見究めてこの国を導いていってほしいものだ。

小川郷太郎(三井住友海上顧問、元外務省職員) 2010年11月10日記