小川郷太郎の「日本と世界」

大震災と日本

shinsai1shinsai2shinsai3a

 

震災地視察

4月半ばの3日間、自分の身をそこにおいて今般の大震災に対し何をしたらよいかを考えるため、被災地を訪問した。
仙台を拠点に、岩沼、塩釜、松島、石巻、女川を見たあと、海岸沿いに気仙沼を目指したが道路が寸断されていて断念。戻って、北上川沿いに河口方面を視察した。
とくに女川が文字通り壊滅状況で、そこに立ちすくんで呆然とした。岩沼でも津波による破壊は凄まじく、屋根だけが崩れかけて残っている大きな家の、その屋根に上ってひとりで瓦を片付けている老人に声をかけて、しばしそれを手伝った。何人もの兄弟や家族の遺体を周辺の瓦礫の中で見つけたと、弱った声で語った。
1か月余りたっても被災地は瓦礫の山であるが、潮のにおいと混じった生臭い臭いが鼻を衝く。壊れた家の柱に鎖でつながれたまま首吊りのような形で死んでいる犬の姿が痛々しかった。瓦礫の下にまだ多数の御遺体がある可能性がある。自衛隊員が姿勢を正して黙々と困難な作業をしていた。
短時日ではわからないことも多いが、破壊の凄まじさを考えると、復興は今後2~30年もかかる気がする。

大震災で見えたこと

まさに国難ともいえる今度の大震災で、三つのことが国民の目にも明らかになったように思う。
ひとつは、日本人の持つ素晴らしい資質である。未曽有の大悲劇にあって冷静沈着に行動し、支援者に丁寧に頭を下げ、ときには自分より被害の多い人を優先して支援するように依頼する人々の存在や略奪もない事実を、世界中が驚き称賛した。また、東日本に集積していた製造業が大きな被害を蒙ったために、世界中の生産現場で日本から必要な部品が輸入できなくなり大きな影響を受けているが、この事実は、最近の円高にかかわらず、他国からの代替輸入が出来ないほどに日本製品の技術レベルが高いことをも物語っている。
もうひとつは、多岐にわたる世界の相互依存関係の現実である。いま述べた日本製部品が驚くほど広範に世界の生産網の中で不可欠の要素となっている事実がある。逆に日本は外国の輸出市場に依存しているわけであるが、原発事故に伴う風評被害で日本製品の輸入規制にも合う。日本製品の輸出が滞ると他国で代替生産が進み、将来の日本の輸出市場も狭まる恐れがある。この震災で、世界がいかに幅広く深く相互依存関係にあるかが思い知らされる。食料も含め、資源の乏しい日本の対外依存度は極めて高い。
最後に指摘したいのは、日本は一人ではないということが改めて明らかになったことである。震災直後からの日本人同士の助け合いも心温まるが、貧しい途上国やときに緊張が生じる近隣国を含め、全世界が日本に温かい応援の言葉を送り支援の手を差し伸べてくれている。世界中の人々が「人間」という点で心を通じ合い、絆や連帯の気持ちを持っていることを我々日本人は深く心に刻みつけたいものだ。日本人はあまり認識していないようだが、日本は様々な面で世界から関心をもたれ、評価され、あるいは感謝されている。日本が戦後一貫して推進している平和外交、世界中の途上国への援助(ODA)、日本の素晴らしい文化や日本人の倫理性など、いずれも世界でよく知られており、日本は国際社会の中で徳性のある国家だと思われていることを私は強調したい。そのことが世界中からの日本支援の背景にあることも否定しがたい。
これからの復興にあたって、我々はこれら三つのことを常に頭に入れて行動したい。

天が与えた日本再生の機会

今度の震災は、衰退期が始まりつつあった日本を襲った。
グローバリゼーションがますます進み、世界の相互依存関係が否応なく強まってきた最近の20年余り、日本は経済の低迷もあり内向き傾向を強め、少子化が急速に進む中で必要な改革も怠ったまま、政府開発援助(ODA)を大幅に削減するなど時には世界の流れに逆行するような行動もとってきた。その結果、日本は国際社会の中で少しずつ影響力を失い、多くの面で国力の衰退を招いてきた。そこに今回の大震災が起きた。  
多数の死者・行方不明者の霊を悼み、被災者には心よりお見舞い申し上げるものであるが、未曾有の壊滅的破壊を受けたことは、新たな日本を再生する貴重な機会でもあると考えることもできる。すなわち、これまでなしえなかった重要な改革を実行して日本の再生に役立てる好機でもあるといえよう。犠牲者や被災者の苦しみに思いを致しつつ、今般の大きな不幸は天が与えた日本再生のための機会でもあると受けとめて、復興のため頑張っていきたいと思う。

全く新しい考えと行動の必要性:「ソフトの革命」

 街全体が灰燼に帰したような震災の現場に立つと、かつて見たことのある終戦直後の東京の焼野原の写真を思い出す。主要都市の多くが焼野原になった第2次世界大戦後の日本は、軍国主義を捨てて世界に類を見ない平和憲法のもとでの平和外交に方向を変え、民主主義を実践しつつ目覚ましい経済発展を遂げた。明治維新も、封建社会と鎖国主義から決別して欧化政策をとり、国の近代化を図った。いずれの場合も、それまでの国のあり方や生活様式をがらりと変えて、国民の努力を通じて勝ち得た成功であった。
日本にとってまことに不運であった今回の大震災から復興を遂げるには、明治維新や第二次大戦後の日本のように、全く新しい考えと行動が必要であるように思う。社会保障や教育など近年多くの社会の諸制度が疲弊し日本の国力が衰退過程に入っていたことを考えると、その必要性は一層明らかである。いわば、ソフトの面で革命が必要である。

shinsai4shinsai5

どう日本を変えるか?

どんな点でどちらに方向転換を図るべきか、筆者の経験をもとにとくに重要なものを例示してみたい。
まずは、「生き方」や「働き方」について再考し、幸せとは何かを自問してみることが有益だ。日本はこれまで誰もが遮二無二働いて発展を遂げたが、家庭で過ごす時間を犠牲にしたり、学級や家族の「崩壊」などの問題も抱えるようになった。「これまでの生き方を続けることは賢明か」を問うことも必要だ。人間には、良いものを手にするとそれ以上のものを求めようとする欲求が生まれる傾向もある。物質と心のどちらを優先するかだ。私が勤務したカンボジアは世界の中でも最貧国の一つで、都市を除けば全国的に水道も電気もないのが普通である。子供たちは日本にあるような玩具はないが、木の端くれなどを使ったもので楽しく遊んでいる。カンボジアの子供たちの目は輝いていて、家族と一緒にいるとき、日本では見られないほどの幸せな表情を目にする。デンマークは逆に、最も豊かな国であるが、実際の生活はとても質素である。仕事が終わると定時に退社して家路に向かう。週末もいつも家族が一緒に時間を過ごす。父親も母親と一緒になって家事や育児をするデンマークのやり方は、女性の職業と育児の両立を可能とし、出生率も高い。所得の半分を税金でとられ、消費税25%を払っているが、教育、医療、社会保障が原則無料で、死ぬまで安心して生活できることから、自分たちを世界一幸せな国民であると感じている。
今般の大震災で、我々は計画停電や節電を余儀なくされる経験をした。今こそ生き方や仕事の仕方を考え直し、「足ることを知る」チャンスでもある。  
不幸にして街ごと破壊された地域では新しい発想の街造りが必要だ。どのような街に再建するかは住民の意思がまず重要であるが、将来再度津波が起こらないとは断言できないのであるから、これまでとは異なる全く新しい発想を持たなければならない。必要であればこれまでの土地所有制度を変更して、地域主権のもとで自治体の権限を強め、津波の恐れの少ない高いところに個人住宅よりも集合住宅化を進め、保育、教育、医療、介護を一体化した新コミュニティを創造する、そこには最先端の技術を駆使して、効率的な電力、上下水道、交通のシステムを配備する。製造業、農業、漁業の産業基盤も地震や津波の危険も配慮しながら集積し、できるだけ職住接近を図ることも考えられる。この際、農業や漁業を企業化してより規模の大きい生産性の高いものに変えていくことも考えるべきであろう。
「安全神話」と「クリーンエネルギー」というキャッチフレーズのもとで推進されてきた原発の施設の脆弱性が露わになった。原発推進政策のもとで、風力や太陽熱などの再生可能エネルギーは十分には開発されてこなかった。今日の生活における原発依存度の高さからすぐには原発を廃止できないが、地震国という日本の状況を考慮すれば、20年から30年ぐらいの計画として、原発への依存度を下げ再生可能エネルギーへの依存度を漸進的に増やしていくための明確な方向転換を実現することが望ましいと考える。  
高度成長時代のピラミッド型人口構造の時代につくられた現在の社会保障制度は、少子高齢化が進んだにもかかわらず抜本的改革が蔑ろにされてきた。「社会保障と税の一体改革」が唱えられても実現する見通しも今のところなく、すでに四半世紀ほどこの分野での改革も先送りされてきた。あまりに長く議論ばかりされてきた。この大震災を不幸中の転機として新しい方向を決定づけることが極めて重要だ。そのためには、日本の現状を考慮した場合、「中負担・中福祉」の方向で国民的合意を急ぎ、具体策を決定し、実行していくべきである。   

「世界の中の日本」の視点を

震災をきっかけに、日本が世界の相互依存関係の網の目に深く組みこまれている事実や世界各国が日本を助けようとしてくれたことが明確になった。これからの復興にあたって、またそれより長期にわたり日本が発展していくためにも、このことをけして忘れてはならないと思う。換言すれば、日本が復興し発展していくためには常に「世界の中の日本」という意識を持ち、外国と連携・協調して行く発想が不可欠となる。この観点から、さらに3つのことを訴えたい。
資源や食糧などで外国への依存度のとくに高い日本が国際社会で生きていくためには、国際貢献を強化していく必要がある。その場合日本がこれまで発揮した日本の強みや実績を活用することが重要だ。日本は、かつて世界最大の援助国として世界中の途上国の開発を支援し、高い評価を受けたが、最近はピーク時の半分までODAを削減してきた。他方で日本は先端技術、製造技術等で世界最高レベルの水準を誇っている。同時に日本は世界のどこの国よりも多様な文化のジャンルにおいて世界の関心と評価を受けている。私は、勢いを失いかけたODA予算の概念を発展的に解消し新たに「国際協力費」という予算項目を作り、単に途上国への開発援助だけでなく、技術や文化の分野で各国と協力・交流し世界に貢献する姿勢を表明することを提唱したい。膨大な財政赤字のもとで困難ではあるが、予算の規模は、日本の再興を図る国策上の必要経費と認識として当面GDP の0.5%を目標にし、将来財政赤字解消に目途がついた段階で1%を目指すことが望ましい。
もうひとつの日本らしい国際貢献は、敗戦以降徹底して平和外交推進に努力してきた日本が安保理常任理事国入りすることである。安保理入りは、唯一の被爆国としてこれまで我が国が努力してきた軍縮・平和外交推進の立場を強化する。現在核保有国で独占されている常任理事国グループに日本が加わることによって、平和に向けた影響力を強化することが出来る。安保理入りに向けた努力をあらためて強力に推進すべきである。
次に必要な方向は、相互依存関係を生かして国をさらに開く政策だ。具体的には、当面の政策として環太平洋連携協定(TPP)への参加がある。長期的な日本の国益を考えて農業を企業化するなどの改革を進めつつ国を開くことや、資本や人的資源の交流を強化することも重要である。
最後に、日本が目指すべきもう一つの方として、アジア太平洋地域で日本が敬意を受けながら指導性を発揮することである。言うまでもなく、中国やインドなどの新興大国を抱えるアジア太平洋は世界の中で最もダイナミックな地域である。アセアンは安定勢力として2015年の経済共同体実現に向かって歩みを進めており、中国はますます存在感を高めている。日本は長期にわたりODAなどを通じてアジア諸国の発展を支援し、高い経済や技術のレベルで地域諸国の信頼を勝ち得てきたが、時として「歴史問題」で中国や韓国等の近隣国から批判を浴びたりもした。経済規模では中国に追い越されたとはいえ、技術を含めた総合的経済力では日本は依然として優れている。中国が台頭し、東アジアが共同体を目指す動きの中で日本が重要な役割を果たすには、経済の活力を高めることと歴史問題を克服して域内諸国の信頼を回復すことが不可欠である。歴史問題の克服のための数少ない現実的な方法は、1995年の終戦50周年を機会に発表された村山首相(当時)の談話の趣旨を日本国の最高首脳レベルと国民レベルで再確認して、誠実な協力関係を強化することである。今後の日本外交にとって、日米関係とともに日中関係を良好な協力関係にしていくことが最大の課題であると言い得る。

何よりも政治主導が必要

このような日本を築くためには、これまでの政策を転換し新しい方向を明示して進むことであるが、これを実現するためには、何よりも政治主導が必要になる。
福島第一原発事故を見たドイツのメルケル首相は、いち早く脱原発政策を明確にした。日本と同様原発を推進してきたのに、ドイツは政策転換が早い。原発に限らず国の大きな制度や政策に関し、日本の変革は嘆かわしいほど遅い。社会保障、税制、地方分権、少子化対策など、どれを見てもこの2~30年の間議論ばかりがなされて抜本的改革は行われていない。
現時点で政治主導を望むことは現実的でないことも明らかではある。しかし、政治主導の重要さは国が危機にあるときほど大きい。このままの状態が続いていいわけはない。復興はこれから長く続くべきものであるが、何らかの小康を得た早い時点で総選挙を実施し、政界再編成を通じて信頼される政権を作ることがどうしても必要になる。