小川郷太郎の「日本と世界」

体重別階級数を減らせば柔道はもっと面白くなる

                             

 最近、体重別階級の新たな改定が噂に上っている(前回の改定は1999年に遡る)。もし本当にそうなったら?この問題についていろいろ考えてきたが、私は階級の数を減らすことに賛成である。階級数削減は柔道の内容をより本質的で面白いものにするからだ。というのは、現在の体重別7階級制はかなりの体重差のある選手間の試合をなくしてしまったため、そうした試合における効果的な技を探求する努力を怠らせてしまった点で、柔道のダイナミズムを幾分失わせたことである。この問題に関しては、日本と欧米の間に基本的な哲学の違いがある。欧米人には戦いは公平な基盤の上で行われるべきとの考えがあるが、日本人は、柔道は武道であり、試合であっても武道である以上決闘と同様に相手を選別することはできないものと考える。だから全日本選手権はずっと体重無差別で行われてきた。日本人はそこに意義を見出し、それに固執するのである。1964年の東京オリンピック中量級金メダリストである岡野功師範のような偉大な柔道家もこうした理念を守ろうとするひとりである。
この問題提起は国際的にも通じるのだろうか。最近の数か月の間、私はこの問題を何度か友人の柔道家たちに提起してみた。大多数が階級数削減に賛成ではあるが、現実的な意見を述べる者もいた。現実主義者は、先ず、現行の体重別階級は強固に確立してしまったので、いまさらそれを減らすことは不可能だという。さらに彼らは、IOCもメダル数をむやみに増やすことは避けるとしても出来るだけ多数の国でスポーツを振興するために多くの人にメダルを授与したいとの意図を有しているという。日本ナショナルチームのコーチの一人も私にこう述べた。「確かに体重別階級なしの柔道が理想ではあるが現実的ではない。というのは、70㎏級とか80㎏級の選手はいくらやっても100㎏超級の選手にはほとんど勝てない。それに、体重7階級制になったために柔道の質が悪くなったことは断じてない。」かつての女子メダリストも、「もし体重別階級の数が今よりずっと少なければ、谷亮子や野村忠宏らはメダルを取れなかった。わかるでしょう」と加勢する。しかし、他方で世界選手権をとった73㎏級の選手のこういう声もあった。「自分は子供の時から体重別のない形で柔道をやってきた。そのことが自分の技の範囲を大いに広くしたと確信している。」たまたま訪日中のフランス柔道グループにも同じ問題提起をしてみたところ、彼らは私と同じ考えを共有していた。
 私は体重別階級全廃を唱えているのではなく、単に階級数を例えば3つか4つに減らしてはと考えているだけである。一つの階級の体重の範囲を20kgから25kgぐらいの幅に拡げれば、選手は必ずや体重の異なる相手に対してより正確に、より効果的に技を掛け、またより良い技を使おうとするだろう。メダルの数は減らざるを得ないのは残念ではあるが、要するに柔道の本質的なものを求めるか、オリンピックのポピュリズムに加担するかの選択でもある。日本の相撲を見てほしい。相撲では、128㎏の「軽量」の力士が時々189㎏の重量級を見事に投げ飛ばすこともある。4月29日の全日本柔道選手権では、93㎏の加藤博剛が優勝したが、加藤は準決勝以降、棟田(120㎏)、百瀬(120㎏)を破り、決勝では135㎏の石井を降した。百瀬には巴投げで技有をとり、石井には隅落しで一本勝ちした。他方、140㎏の上川大樹は準決勝で20㎏少ない百瀬に負けている。全日本選手権には37人の選手が出場したが、最軽量は75㎏が二人おり、最重量の上川はほぼその2倍の体重の選手である。全部で36試合が行われたが、そのうち28試合は体重差が10㎏以上の選手の間でおこなわれ、その中には27kg、42kg、50㎏さらには最大55㎏の体重差のある試合があった。さらに言えば、この28試合のうち9試合において体重の軽い方が勝ったのである。その2、3年前の選手権でも結果は似たようなものだった。これらの事実は、体重別階級を減らせば柔道をよりダイナミックなものにし、技をより多様化させるとの私の考えに根拠を与えるものである。日本ではいまでも、柔道では「小よく大を制する」ことが可能であると信じている。
 IJFがオリンピック終了後この問題を考えることを望むものである。